展覧会の夢、陰の支え役たち

2010年6月16日号

白鳥正夫


「中国の小さなやきもの展」
が開かれている細見美術館

展覧会には夢があります。そこには時代や国・地域を超え、美やメッセージがあります。人の営みが続く限り、よりよい作品を仕上げる人がいて、それを収集する者がいて、何より創造された美術品を鑑賞する者たちの感動があります。さらには展覧会の陰の支え役にとっても、散らばった作品を一堂に集める喜びがあります。こうした展覧会のプロデュースに関わった朝日新聞社時代の同僚たちから陶芸展の案内がありました。京都・細見美術館の「中国の小さなやきもの展」と、三重県立美術館の「川喜田半泥子のすべて展」で、ともに7月25日まで開催中です。展覧会に託したかつての仲間の思いを伝え、少しは広報のお役に立ちたい、との願いで紹介します。

手のひらに載る古くて美しい
「中国の小さなやきもの展」


「美在掌中」の額が
かかった展示会場

「中国の小さなやきもの展」には、「美は掌中に在り」との副題が付いています。5000年を超す歴史の中国には壮大な建造物や大きな美術品が数多く遺されていますが、一方で手のひらに載るような小さなやきものが存在します。これらは死後の世界で使うものとして作られた食器や飾り物など副葬品であったり、子供たちの玩具として作られたものもあります。

この展覧会に監修者として関わっているのが東京在住の小野公久さんです。小野さんは現役時代、二度にわたる中国国宝展をはじめ清水卯一、石黒宗麿、小山冨士夫らの陶芸展を手がけています。こうした経験もあって、1990年代半ばころから、中国の小さなやきものに興味を抱いたのでした。大きな作品とはひと味違った美しさを備えているものに魅かれたそうです。


「白磁有蓋壷」と
「三彩有蓋壷」

小野さんは、海外出張や香港旅行の際の自分へのお土産や国内の骨董屋などで少しずつ収集を始めました。「美術品とは言ってもミニチュアなので安価に求める事ができた」と言います。これらの作品を愛知県陶磁資料館に預けていたことがきっかけになり、森達也主任学芸員が展覧会になるのではと、関心を寄せたのでした。町田市博物館の矢島律子学芸員が協力し、年代構成などを調べ、他の収集品も加えて、今回の展示構成が出来上がったのでした。

最初は「美在掌中」展として、昨年6月から7月にかけて愛知県陶磁資料館で開催されました。私はそうした経緯を知らず、偶然立ち寄り浅く通観していました。小野さんからの便りで事情を知り、細見美術館での開幕翌日に訪ねました。来館していた小野さんの案内で、今度はじっくり鑑賞できたのでした。


「白釉藍黄彩碗」

7−8世紀の「白磁有蓋壷」と「三彩有蓋壷」は、よく似た形状の小壷で並んで展示されています。高さ・胴径ともに5センチに満たないミニサイズなのに、ろくろで成形されています。所蔵者によると、三彩は2001年夏、白磁はその1ヵ月後に東京の骨董屋で入手したそうです。この優美な類似作品を見つけるのもコレクターの喜びと察します。

「白釉藍黄彩碗」も7−8世紀の広義の唐三彩とか。よく見れば藍彩で花弁、黄で花芯を描いています。藍はコバルトの発色で、中近東産とされ、シルクロード経由でもたらされた高価な顔料を使っていて、唐文化の国際性がうかがえます。90歳に近い小野さんの義母は、小さい作品ばかり見ているせいか、美術館の大きな作品を見て「唐三彩って、大きいのもあるのね」とつぶやいたエピソードを披露していただきました。


「青磁印花花文皿」

「青磁印花花文皿」は、1998年に大阪市立東洋陶磁美術館など全国3会場を巡回した耀州窯展に出品された同形、同寸のものです。型押しで文様を付ける技法ですから、恐らく同じ型が使われたと思われます。この所蔵家によれば、東京・京橋の骨董屋が香港の骨董店で掘り出したものを買い求めたとのことです。収集冥利に尽きる話です。

現在、中国本土からの古美術品の持ち出しは禁止されていますが、香港は英国領だった時代の名残で黙認されています。しかし近年、中国でも経済成長に伴って愛好家が増え、以前ほど良い品が香港に集まらなくなったため、日本の骨董屋では入手が難しくなったと嘆いているそうです。


「赤絵人形」

13世紀・金−元時代の「赤絵人形」は、北方、内モンゴル自治区のお墓などからしばしば出土するミニチュアです。遊牧地帯らしく、彩り鮮やかな馬の人形が添えられていることもありますが、夫婦や子供など家族をあしらったものが多いといいます。幼な子が亡くなり、あの世で淋しい思いをしないようにと、両親が心を込めて埋めたのかも知れないとのことです。

「美在掌中」の意義について、小野さんは「作品は小さいけれど、土や釉薬は大きいものと変わりません。しかしこうした品を一つ手に入れると、美術館で大作を見る眼も変わります。自分の所蔵品と見比べながら、粘っこく眺めるようになります」と、強調しています。

図録の中で、愛知県陶磁資料館の森主任学芸員は「古くて小さい、美しい中国陶磁を楽しむということは、長い歴史に支えられつつも新しい芸術的な作業のひとつといえるように思われる」と結んでいます。この展覧会は2011年3月に町田市立博物館、その夏に富山県の射水市新湊博物館でも開催予定です。

東の魯山人と並ぶ稀代の趣味人
「川喜田半泥子のすべて展」

「川喜田半泥子のすべて展」は開幕内覧会に駆けつけました。三重県美は岐阜県美、松屋銀座、そごう美術館(横浜)、山口県立萩美術館・浦上記念館に続いて最終会場です。私にとって三重県美は20年ぶり、半泥子展は18年ぶりでした。津市の旧家に育った半泥子にとってゆかりの土地での展覧会ということで、久々に半泥子の作品を堪能することが出来ました。


「半泥子展」会場で、
支え役の小野公久さん(左)と
渡辺弓雄さん


半泥子(1878−1963)の本名は久太夫政令(きゅうだゆうまさのり)で、老舗の木綿問屋に生まれ、百五銀行頭取などを務め活躍します。財界人として多くの要職に就き人望を集める一方、陶芸のほか書画、建築、写真など、さまざまな分野で多才ぶりを発揮します。


三重県立美術館の
開会式の模様

「西の半泥子」は、「東の魯山人(1883−1959)」と並び称せられ、稀代の趣味人として広く知られています。ほぼ同時代を生き、作陶に熱を注いだのも後年で、魯山人は40歳を過ぎて、半泥子は50歳になってからです。美食家で知られる魯山人は料理のための陶磁器を、半泥子は茶の湯に対する深い理解から茶碗を主とした陶器作りに専念します。ともに自邸に窯場を設けて、既成の概念にとらわれることなく、自由な発想で膨大な数の作品を制作しています。

明治維新によって、将軍家や諸侯の庇護を失った陶芸界は、昭和初期にかけて苦難の時代が続きます。こうした時代、半泥子は専門陶工にはない趣味人からの発想による当意即妙な意匠の世界に新境地を拓いたのでした。こうした半泥子の作品と人となりは、荒川豊藏、金重陶陽、三輪休和ら若き陶芸家たちと交流を重ね、昭和における陶芸復興の礎ともなりました。


多くの人でにぎわう
内覧会

半泥子の人と作品に魅了された元同僚に大阪在住の渡辺弓雄さんがいます。私が編集から企画の仕事に転任した時には、すでに東京の企画部で中堅として活躍していました。彼が中心となって進められた「装飾古墳の世界」「戦後文化の軌跡1945−95」「浜田知明の全容展」といった展覧会を手伝わせていただいた思い出もあります。

陶芸展では、「中国中原に花開いた名窯―耀州窯展」「神品とよばれたやきもの―宋磁展」「安宅コレクション展」などを手がけています。ところが選択定年で、5年前に退社し、昨年に展覧会企画などの「耕人社」を設立したのでした。「半泥子展」は、渡辺さんにとって二度目の取り組みでした。その間の事情を、山口・浦上記念館の美術冊子「HAGI萩」55号に次のように記しています。

私の仕事は展覧会をプロデュースすることだ。学芸員や研究者とタッグを組みおよそ30年間、古代文化から現代美術まで、さまざまなジャンルの展覧会に関わってきた。その度に、対象に恋して、熱狂的に恋して、その思いを形にして伝える。ただこの30年間で、同じテーマに取り組んだことは一度もない。厳しい恋の思い出は、静かにこころに沈殿し、気持ちの良い記憶として収まるからだ。そんな多情な私が、18年の時をはさみ同じ人に恋をしてしまった。半泥子さんである。


書画と茶碗の展示

私が初めて見た半泥子の作品は、1992年の大阪市立東洋陶磁美術館でした。渡辺さんの最初の「恋」の対象だったわけです。魯山人に劣らず、多種多様な作品が展示されていた記憶があります。今回は「すべて展」と命名されている通り、渡辺さんの思い入れたっぷりの半泥子の世界が展開されています。

展覧会では、半泥子が創作した井戸、粉引、刷毛目、志野、瀬戸黒、唐津、伊賀、信楽、色絵といったあらゆる分野の中から、80点余りの茶碗を中心に水指、茶入、花器、香合、茶杓といった茶道具類のほか、書画や写真などを加えた約200点を展覧し、半泥子芸術の全貌をみることが出来ます。品格のある作品が並んでいますが、壁面に目を移すと洒脱とユーモアを交えた書画があり、味わい深い展示構成です。


粉引茶碗「寒山」

会場でお会いした岐阜県現代陶芸美術館の榎本徹館長は「半泥子の作品の多くは、友人や知人へと贈られたため、これだけまとまった数が一堂に会することはめったにありません。魅力あふれる半泥子作品をご覧いただく、絶好の機会といえます」と力説されています。

開会式の挨拶で、井上隆邦館長は「プロの作家はつい技巧に走ってしまうが、半泥子は技巧に走らず、作品には触感と感性が反映されています。岐阜、東京、横浜、萩を巡回し、15万近くの人に鑑賞いただいた展覧会の最終会場であり、半泥子の地元でもある。ぜひ、多くの方にご来場してほしい」と挨拶されていました。


織部黒茶碗 銘「暗香」

また井上館長は、半泥子の育ての親である祖母政が、半泥子に書き送った「政子遺訓」の一文を紹介していたのが印象的です

「己れをほむるものハあくまとおもふべし。我をそしるものハ善智識とおもふべし」。半泥子が生涯それを大切にしたと、いいます。

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけないことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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