メセナ性を失ったメディアの文化事業

2010年6月1日号

白鳥正夫


「伝説を創る現場
―美術館の可能性を求めて」
のテーマで5月1日に
大阪大学中之島センターで
開かれたシンポジウム

メディア各社は戦後、イメージアップを図る経営戦略として競って文化事業に取り組んできました。美術をはじめ音楽、スポーツ、囲碁・将棋などありとあらゆる文化事業を組織的に継続的に実施。中でも展覧会のチケットは新聞社の読者サービスに、プロ野球の実況は視聴率の向上に寄与したのでした。高度経済成長期、メディアは「文化の担い手」として、メセナ性を発揮しました。ところが米国のサブプライムローン問題が拍車をかけ、本業の経営悪化が深刻化したのです。当然ながら文化事業の見直しに迫られ、収益をめざすビジネス性への転換が顕著になってきました。代表的な文化事業である展覧会を軸に、その変化と現況を報告します。


日光・月光菩薩像が
そろって展示された
「国宝薬師寺展」の
会場入り口
(東京国立博物館)

【歴史とその役割】そもそも文化活動は、先進諸国では社会的意義からも国や自治体が後押しして発展してきました。日本は明治・大正期を通じ富国強兵に追われ、文化支援はなおざりにされてきた経緯があります。その役割を肩代わりしてきたのが新聞社です。

私の所属していた朝日新聞社では、1906年から文化事業に取り組み始め、1910年には白瀬中尉の南極探検の義金募集を呼びかけました。1922年には計画部を創設し、フランス絵画彫塑展やチェロの名手・ホルマンら外国人演奏家を招聘し、コンサートを開催します。さらに1915年に大阪の豊中球場で、今や国民的行事となった全国高校野球大会の前身である全国中等学校優勝野球大会をスタートさせました。1937年には神風号による東京−ロンドンを94時間17分56秒の記録飛行を打ち立てるなど国家的事業までやってのけたのでした。


巨大アシュラボード前で
記念写真を撮る
「国宝阿修羅展」の
会場入り口
(九州国立博物館)

戦後、民主化や豊かさとともに国民の文化的な行事への関心が高まるのに伴い合唱や吹奏楽、囲碁・将棋、マラソン、各種表彰など多様な文化事業に乗り出します。中でも美術展開催に大きな力を注ぎましだ。新聞社が展覧会を運営するのは、諸外国では珍しい上、会場がデパートというのも日本独特のスタイルなのです。

【デパートと連携】デパートが美術展に乗り出したのは1904年に東京・日本橋の三越が開店前景気をあおるため、尾形光琳の花鳥画などで「光琳遺作展覧会」を開いたのが始まりとされます。この時代、デパートは舶来文化に触れられる庶民のあこがれの場でした。三越をはじめ高島屋、松坂屋、大丸などいずれも呉服商の創業で、呉服の図案が絵柄であり、美術と関連があったのだからうなずけます。



爆発的な入場者数を記録した展覧会に出品された
「モナリザ」「ミロのビーナス」「ツタンカーメン」


ミュージアム機能を備えた
デパートの展示会場

デパートでは展覧会場を上階に設け、観客の買い物を誘う「シャワー効果」を期待し、宣伝力のある新聞社と提携し実績を上げました。デパートにとって文化催事は、格好の客寄せ策になり、新聞社も読者開拓の思惑と重なったのです。両者連携による展覧会は、美術の大衆化に寄与しました。
ところが2000年代に入り、デパートが売り上げ減に伴い、経費負担のかさむ展覧会事業から撤退する所が増えたのです。新聞社にとっては、確実に収入を見込めた企画料が大幅に縮小しました。デパートからの収入で、メセナ性の高い公立美術館との共催も出来、収支のバランスを図っていたのも事実です。

【美術館乱立の末】現在はどの府県にも公立ミュージアムが設置されていますが、その歴史は浅いのです。さすがに東京国立博物館はいち早く1872年に開館しています。その後1894年に奈良、1897年には京都に国立博物館が出来ました。公立館の第1号は1951年に神奈川県立近代美術館で、1970年に兵庫県立近代美術館が続きました。


インドからの石彫が
ズラリ並んだ
「シルクロード 
三蔵法師の道展」

その後、日本の高度経済成長に伴って、各地に美術館や博物館が誕生しました。不思議なことにバブルが崩壊した1991年以後も自治体の「ハコモノ」行政はとどまることがなかったのです。日本博物館協会がまとめた2008年度末の調査によると、活動している日本のミュージアムは4041館を数え、3分の2が公立館と言われます。その他私設の館や無人館などを加えると7−8000館にのぼると推定されています。

乱立に加え自治体の財政難で、「美術館冬の時代」と言われて久しいのです。美術品購入資金どころか運営資金も行き詰まり、琵琶湖文化館が休館に追い込まれているのをはじめ芦屋市立美術博物館はNPO法人に運営をゆだねられるなど、自治体にとってお荷物になってきたのです。行き当たりばったりの文化行政の貧困さを露呈した感がします。


映画会社の東映が
企画した
文化財関係の展覧会チラシ

【美術展の推移】美術展史上特筆すべき展覧会に朝日の「ミロのビーナス特別公開」(1964年)です。東京オリンピック開催中の日本に時のフランス文化大臣が「出開帳」を許可したのです。国立西洋美術館に83万人余を集めました。ショー的な演出の成功が翌年の「ツタンカーメン展」につながったのです。東博に約130万人も押しかけたのでした。京都、福岡を合わせた入場者数は293万人で、この純益3億余円はそっくりアブシンベル神殿水没の救済資金に寄贈されたのでした。

この流れが1974年に同じく東博で開催された「モナリザ展」でピークに達しました。フランスの秘宝で門外不出とされた名画「モナリザ」に何と150万人が駆けつけました。1970年の万国博会場の「万国博美術展」の177万人には及ばないものの、歴代入場者ランキング(1会場)の記録を誇ります。この二つの展覧会は、いずれも国のレベルで実現したのです。

ベスト10には読売の「バーンズコレクション展」や「ルーヴル美術館展」などもあり、毎日の「フェルメール展」や「ゴヤ展」、日経も「オルセー美術館展」など優れた絵画展を展開しています。

海外旅行が日常化した昨今、泰西名画では大量動員が難しいとされる中、2008年は「日光・月光 初のふたり旅」と謳った読売・NHK共催の「国宝薬師寺展」に79万人余、昨年は「仏像中の仏像」の興福寺の「国宝阿修羅展」に、東京で94万人余、九州で71万人余も入場し、ルノアールやピカソなど著名な西洋絵画も顔負けの集客を記録しました。仏像に限らず長谷川等伯や伊藤若冲、狩野永徳などの展覧会も人気を博しており、東洋の美を再認識する風潮も顕著です。


予想以上の好評を博した
兵庫県立美術館の
「だまし絵展」の看板

毎年恒例の「正倉院展」は奈良博の独自事業でしたが、独立行政法人になった2001年から集客増を図るため朝日が特別協力に入りました。しかし効果が不十分だったため、2005年からは読売に移ったのです。手厚い紙面展開と読売旅行の動員などもあって209年には約30万人と倍増以上の成果を上げたのです。

【収益性の追求】新聞社の展覧会は、読者サービスや社会貢献などメセナ的な性格を有してきましたが、各社とも採算面重視の事業的な性格を強めているのです。そのため集客力の見込める寺社の国宝の持ち出しなど「目玉」主義にシフトし、日本の洋画展や現代美術展が激減しています。一方、ルーヴルやオルセーなど海外美術館展では各企画会社やテレビ各社との連携によるリスク回避を図る傾向が強まっています。

とりわけ発掘品など文化財展では、映画会社の東映の参入が際立っています。「ベルリンの至宝展」(朝日・TBS)「ペルシャ文明展」(朝日・テレビ朝日系)「チンギスハーンとモンゴルの至宝展」(産経・テレビ朝日)「トリノ・エジプト展」(朝日・フジテレビ)など次々と企画。同時にメディアの共催の組み合わせも従来、新聞と系列局とのメディアミックスが重視されましたが、現在は開催地域によって、ねじれ現象が目立ってきました。


NPO法人が運営する
芦屋市美術博物館前庭で
毎年2回開催されている
アートフリーマーケット

【文化事業の今後】新聞各社の展覧会開催をはじめ文化事業は、デパートの展覧会事業の相次ぐ撤退と、広告の落ち込みによる急激な経営環境の悪化で大きな転換期を迎えています。指定管理者制度で効率運営を図る文化行政同様、新聞社が文化の軽視や切り捨てにつながる危惧もぬぐえません。

かつては新聞社のスタッフが学芸的な企画内容も含め主導していた展覧会もありました。私もスタッフの一員となった「戦後文化の軌跡展」では、戦後50年を総括する絵画や彫刻をはじめ美術のみならず写真、建築、デザイン、ファッション、いけばな、映像、マンガにいたる様々な視覚文化を検証しようという壮大なテーマ展で、会場の美術館の学芸員と新聞社のスタッフが3年がかりで、20数回におよぶ勉強会を開き合宿までして取り組んだのでした。

1999年に私が企画した朝日新聞創刊120周年記念の「シルクロード 三蔵法師の道展」は、玄奘三蔵をテーマに21世紀の指針を探ろうという趣旨で、展覧会を軸にシンポジウム、学術調査の多面的展開で、新聞社ならではの企画といえました。白紙から展示品を探し出す4年がかりの難事業でした。監修者の力添えで内外6カ国から220点余を集め、3美術館を巡回しました。


コンテナ内に
現代美術が展示された
神戸ビエンナーレ

こうした金と手間のかかる文化事業は敬遠されてしまった感があります。本来、展覧会仕立てのプロセスで、人材が育成され、メディアと美術館の交流も促進されるのですが…。主催事業とは名ばかりで、企画会社の持ち込み展の広報を任される展覧会が増える傾向に あります。

一方、地方に海外展を提供してきた読売の美術館連絡協議会や、幅広い文化活動をサポートしてきた朝日が関わる企業メセナ協議会も、経済停滞の余波ですっかり影が薄くなりつつあります。

こうした反面、越後妻有トリエンナーレ(大地の藝術祭 人口7万3千人の町に37万人)や横浜トリエンナーレ、神戸ビエンナーレなど地域ぐるみの文化活動も新たな試みです。地域再生への支援など、文化事業のあり方に今こそ知恵を絞ってほしいと願わずにいられません。

新聞社は多様な文化事業に参画することによって、読者を拡大し発展してきた歴史があります。また広く国民も新聞社への期待を持ち続けています。本業の経営悪化の影響は避けられないにしても、「文化の担い手」としての役割は失ってはならないと確信します。

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけないことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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