追悼、平山芸術その足跡をたどる

2010年5月15日号

白鳥正夫

「美を描き、美を救う」活動を精力的に続けられていた平山郁夫画伯が昨年12月2日に逝去され、まもなく半年になります。この間、2月2日に東京で「お別れ会」が厳かに営まれ、ご厚誼に感謝し、在りし日の平山画伯を偲びました。その後、半世紀を超えた画業の足跡をたどる展覧会が各地で展開中です。奈良県立万葉文化館は生前から予定していた平城遷都1300年記念特別展「シルクロード―奈良への道 平山郁夫展」(5月30日まで)を、平山コレクションを常設展示している佐川美術館では「追悼展 平山郁夫―平和の祈り―」(8月1日まで)を、さらに香川県立ミュージアムでも「平山郁夫展 日本の美をたずねて」(5月16日まで)をそれぞれ開催しています。画伯の活動は、このサイトでも何度かを取り上げてきましたが、お別れ会と展覧会の作品に込められたメッセージを紹介し、その存在の大きさをあらためて追悼します。



多数が参列し厳かに営まれた平山郁夫画伯のお別れ会

 

数々の薫陶、お別れ会に参列


新居浜文化協会55周年の
集いでは対談も
(2004年)

財団法人日本美術院と東京芸術大学の主催で開かれた「お別れ会」には、東京都内のホテルに2600人余が参列し、献花しました。生前の幅広い活動もあって、美術界だけでなく政財界や各国大使館などからも多くの関係者が詰めかけました。祭壇には遺影の下に、シルクロードを描いた群青の砂漠に月の作品と対照的に明るく輝く太陽を拡大複写した屏風が置かれ、文化勲章や天皇、皇后両陛下からの供花などが飾られたていました。私も偉大だった平山画伯の功績を偲び合掌しました。

私が平山画伯に初めてお会いしたのは1993年11月に遡ります。朝日新聞社主催の「アンコール・ワットの保存救済」のシンポジウムで、記念講演をしていただきました。95年に企画した「ヒロシマ21世紀へのメッセージ展」では、画伯が描いた代表作の「広島生変図」を所蔵先の広島県立美術館から借用したのでした。


スケッチする
在りし日の平山画伯

原爆によって一面火の海に化した広島の街の中に原爆ドームがシルエットのように浮かび、天空には不動明王が描かれた作品です。被爆者としての画伯の平和への思いが深く伝わってきました。その後、何度も平山郁夫展に関わり、平山芸術に触れながら、人間としての歩みも知ることになったのです。

1997年7月、私は初めて鎌倉の平山邸を訪ねました。99年の朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」の企画推進のための協力要請でした。展覧会、学術調査、シンポジウムの三本柱からなり、総監修やシンポの基調講演などを引き受けていただきました。平山先生は薬師寺に奉納する玄奘三蔵をテーマにした大壁画を制作中だったこともあり、多くの助言と指導を受けました。

平山画伯には、画業での数々の業績だけではなく、人類が残した文化遺産の保存修復に取り組むもう一つの顔がありました。玄奘三蔵に導かれながら踏破した平和希求の旅の現場から生まれたのが「文化財赤十字」構想です。北朝鮮の高句麗壁画古墳の世界遺産指定のため何度も訪問し、2004年の登録に貢献されました。登録前に開催した「高句麗と東アジア」をめぐるシンポジウムにも出席していただきました。


出世作となった
「仏教伝来」
(1959年)

朝日新聞社時代から文化事業全般にご指導と助言を仰ぎ、個人的にも、私の著した『夢しごと 三蔵法師を伝えて』の表紙に「月光 ラクダ行」を使わせてもらったり、2004年11月には私の郷里、愛媛県の新居浜文化協会55周年の集いで記念講演と対談をさせていただいたこともあります。2005年と、07年には「心の故郷を訪ねて 平山郁夫展」を企画させていただくなど公私ともにご薫陶を受け、ご逝去は私にとって無念で、心から哀悼の意を捧げるものです。

大作から大下図「奈良への道」展

「シルクロード奈良への道」展は、奈良県立万葉文化館の宮崎隆旨参与に会場案内をしていただきました。宮崎さんは奈良県立美術館の元館長で、副館長のとき、前述の「シルクロード 三蔵法師の道」展で総監修の平山画伯を会場にお迎えした思い出があります。


広い会場に
ズラリ大作の展示

広い会場に入るなり100号を超す大作が並び圧巻です。展示は大きく3章に分かれ、まず第1章は画伯の出世作で、シルクロードへのライフワークとなった「仏教伝来」(1959年)に代表される仏教伝来の道です。第2章は「マルコポーロ東方見聞行」(1976年)、「絲綢之路天空」(1982年)などのシルクロードシリーズ。そして、第3章はシルクロードの終着地でもある奈良の古寺を描いた数々の作品や「卑弥呼壙壁幻想」(1967年)など、大和路と古代幻想です。初期から最新作を含めた代表作約60点の構成で、平山芸術の世界が堪能できます。

ほとんどの作品はこれまで「画業50年展」や「文化勲章受賞記念展」「祈りの旅路展」などで鑑賞していましたが、「広島生変図」(1979年)は前期のみの展示で、最終日に間に合いました。「卑弥呼壙壁幻想」(1967年)は、画伯からお聞きした「邪馬台国の女王を幻想的に描こうと時代考証で求めたのが、北朝鮮にある高句麗古墳群の中にあった壁画の女性像でした。その後1972年になって、奈良の飛鳥で発見された高松塚古墳の飛鳥美人が同じ服装をしていたのに驚きました」との言葉が蘇ってきました。


未完となった
「平城京」
(大下図、2009年)

今回、特別に展示されたのが「平城京」(大下図、2009年)です。この展覧会に向け、事前調査に平城宮跡などを訪れるなど取り組んでいた作品です。平城京俯瞰図を思い描き、壮大な都の姿を白いキャンパスに幾重もの鉛筆の線が走っています。未完の大作ですが小下図などとともに、画伯のたぎる情熱が伝わってきて感動します。「高燿る藤原京の大殿」(1969年)と並べて展示しています。さぞかしご本人が両作品を目前に眺めたかったことでしょう。

この画期的な展覧会を担当した石田久美子学芸係長は長らく画伯に関わって研究をしていて、図録に長文の解説文を執筆しています。その中で次のような文章が印象的です。

「ほとばしる感情をたたきつけるように激しく表現しても、感動できる作品が生まれるかどうかは難しい。作業は静かに情感をいだきつづけながら進行していかなければならない」。この画伯の言葉には、平山芸術の特色ともされる叙情性と精神性を感じさせる静謐な画面の由縁が示されており、奈良の仏教美術と仏画に基本を学び、精神の至高の境地を求めて一途に画業と向き合った平山画伯の誠実な心を改めて感じる。


「楼蘭遺跡三題」を
並べて展示

宮崎参与は「平城遷都1300年にふさわしいスケールの展覧会になりました。3年前から準備し、これだけの作品を一堂に出来たのは、平山郁夫美術館や平山郁夫シルクロード美術館との共催があってのことです。ぜひ多くの方に見てほしい」と話していました。

なお同じ展覧会は、作品の内容を一部変えながら平山郁夫美術館(広島、6月2日―7月14日)、平山郁夫シルクロード美術館(山梨、7月18日―8月22日)に巡回し、開催されます。

感動を描き伝える「平和の祈り」展

一方、「平和の祈り」展は佐川美術館自慢の総数330点に及ぶ平山コレクショをテーマに即して構成しています。西安市街や大雁塔はじめ敦煌、楼蘭、西域南道、さらにはアフガニスタンやパキスタン、インドに至るシルクロードの旅で描いた作品など本画17点と素描53点が展示されています。


「大唐西域画」
(2001年)
の会場には模型も

中でも「大唐西域画」(2007年)の7場面13作品を一挙展示しています。「大唐西域壁画」は、画伯がシルクロードの集大成として2001年に奈良・薬師寺玄奘三蔵院画殿に奉納していますが、より多くの人々に見てもらいたいという趣旨で、50号の絵画作品として改めて描かれたものです。玄奘三蔵院の模型も配しての展示で、壁画は画殿のどの位置に収められているのかも分かります。

もう一つの中心的な作品は、「平和の祈り−サラエボ戦跡」(1996年)で、廃墟に立つ子供たちを描いています。画伯は1996年、国連の平和親善大使としてサラエボを訪ねています。決して戦場の光景を描くことがなかった画伯が特別な思いを作品に込め制作されたのでした。


「平和の祈り−サラエボ戦跡」
(1996年)

ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の首都・サラエボは1984年、平和の祭典の冬季オリンピックの開催地となった旧ユーゴスラビアの都市ですが、90年代に入り民族紛争の激化により戦火にさらされたのです。私も2008年7月に現地を訪れましたが、犠牲者は1万人を超えたそうで、街の多くの建物には銃痕が残り、戦争がそれほど遠い過去のものでないことを物語っていました。

会場の一角にビデオコーナーがあり、この作品に込められたメッセージが語られていました。「戦争の苦しみから生まれる芸術は、泥沼に咲く蓮の花だ」。蓮の花は泥沼の中で咲く清純無垢な花です。画伯はサラエボで出会った子どもたちに、泥沼に咲く蓮の花の姿を求め、この戦場となった地獄から、すくすくと新しい芽を出してほしいと、子どもたちの未来を願われたとのことです。


ビデオコーナーでは
「平和の祈り」を上映

『画文集 サラエボの祈り』(平山郁夫・右田千代著、日本放送出版協会、1997年)の中で、「サラエボは、画家としての私に、どんな境遇や環境にあろうと、平和を祈る作品を描き続けなければならない、と改めて覚悟させた。画家にとって、感動することがいかに大事であるかを再認識した」と、記しています。

担当の吉川和孝学芸員は「シルクロード各地を旅し描いた作品は膨大なもので、人間が作り出した文化の多様性を垣間見ることが出来ます。しかし、この仕事は東京芸術大学に奉職して後進を育て、また、文化財保護を通じた平和の実現に向けた様々な活動の合間を縫って行われたものでした。一人の人間がこれほどの仕事が出来るのかと驚くばかりです」と、強調していました。


竹久夢二
「扇をもつ女」
(1932−33年)初公開

佐川美術館では、「竹久夢二展」も6月13日まで併催しています。大正ロマンを代表する夢二(1884−1934)は、晩年直前に憧れの欧米旅行をしていますが、滞在中に描いたスケッチを中心に油彩・素描などをまとめて紹介しています。ウィーンで製作された初公開の「扇をもつ女」(1932−33年)や、肉筆画の名品、夢二が手がけた雑誌、音楽集の表紙などにも視点を当てた展覧会になっています。

 

 

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけないことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
「ぶんかなびで知った」といえば送料無料に!!
 

 

もどる