等伯と魯山人、天才の作品展

2010年4月10日号

白鳥正夫

この春、二人の天才のその道を究めた作品が関西で見られます。水墨画の最高峰と評される国宝「松林図屏風」を描いた「長谷川等伯」展が4月10日から5月9日まで京都国立博物館で開催。今年は等伯没後400年の節目に当たり、各所から名品を集めての画期的な回顧展になっています。一方、美食家で知られ陶芸の世界でも確固とした足跡を刻んだ「北大路魯山人」展は、5月23日まで兵庫陶芸美術館で開催中です。こちらも魯山人没後50年を契機としたもので、陶磁器をはじめ書や絵画、漆器など約250点を展示し多才な創作活動を回顧しています。西洋の美術が人気を博する中、東洋の美の精華をじっくり観賞できる絶好の機会です。


「松林図屏風」(左隻)



「松林図屏風」(右隻)
いずれも東京国立博物館蔵


 

国宝3点を含む一挙公開の等伯展

朝もやの中に松林が浮かんで見えます。描かれた松の木々が墨の濃淡のみによって、その奥行きを感じさせるのです。松の葉が、近くに見ると粗く大胆な筆致で描かれていますが、遠くに見ると余白の中に淡く見え隠れします……。

2006年1月、東京国立博物館の国宝室で初めて「松林図」を目にした印象は濃く深いものでした。等伯50歳代の筆とされ、日本の水墨画における傑作として著名な作品です。墨の持つ神秘性を巧みに表現した「松林図屏風」の6曲1双は、今なお静かに強く脳裏に刻まれています。


「楓図壁貼付」(京都・智積院蔵)



「仏涅槃図」
(京都・本法寺蔵)

等伯(1539−1610)は、能登国の戦国大名・畠山氏の家臣である奥村文之丞宗道の子として七尾に生まれます。幼少時、染物屋の長谷川宗清の元へ養子に迎えられたと言われています。養父が絵描きであったとされ、宗清に手ほどきを受けた可能性があると考えられています。

30代になって上洛した等伯は仏画から肖像画や花鳥画、金碧障壁画、水墨画などを精緻に、時に豪放に描き分け、次第に頭角を現します。豪壮華麗な芸術が繰り広げられた桃山時代、狩野永徳が率いる御用絵師の狩野派に一人で挑み、やがて豊臣秀吉や千利休らの心を捉え、後世にその名を残す大絵師になったのでした。

私は1990年代の初め、金沢に在任していて石川県立七尾美術館を何度か訪ね、離任後も能登に行けば立ち寄っていました。随時、等伯ゆかりの企画展が開催されていました。今回の展覧会に出品されている「愛宕権現像」や「善女龍王像」などを現地で観賞していました。他館や各地の寺に伝わる作品も展示されていて、並外れた表現力に感嘆した思い出があります。こうした名品との再会、そして等伯の名品を一堂に見ることができるのはありがたいことです。


「枯木猿猴図」
(左幅)


「枯木猿猴図」
(右幅)

いずれも龍泉庵蔵
<後期4/27-5/9展示>


「松林図屏風」とは趣を異にし、色彩豊かに描かれた金碧障壁画の傑作「楓図壁貼付」と「松に秋草図屏風」は、ともに京都・智積院に伝わる国宝で4面2曲1双。金地着色で太い幹の楓と松を軸に、「楓図」には紅葉や木犀、鶏頭、菊などを、「秋草図」には薄や菊、芙蓉などの草木を配した巧みな自然描写は狩野派には見られない構成です。

このほかにも三大涅槃図の一つとされる重要文化財の「仏涅槃図」が出品されています。完成時に宮中で披露された後、本法寺に寄進されたそうです。表装部分を含めれば10メートルもの大作です。当時さぞかし度肝を抜く迫力に「してやったり」といった等伯の思惑が見て取れます。


書と濡額などの作品展示

同じく重要文化財の「枯木猿猴図」も味わい深い作品です。ふわふわとした猿の柔らかな体毛と力強く乱舞する樹木のコントラストが鮮やかな筆致で、水墨画ならではの魅力があります。母猿の背に乗った子猿の右幅と母子猿に近づこうとする父猿の左幅の構図には家族愛があふれ、見飽きません。

「信春」と名乗った初期から、上洛後の「等伯」と号した作品まで、72歳の生涯で数多くの作品を描いています。東京国立博物館に続いての京都の本展には、国宝3件、重要文化財30件を含む代表作が一挙公開され、史上最大規模との触れ込みです。すでに東京では約29万人が入場しています。

魯山人展は陶芸から書・絵画・漆器も


「染付鯰魚向付」
(大正12年 個人蔵)

魯山人の作品は1985年11月に、閉館した北浜三越の画廊で見たのが最初でした。備前はじめ信楽、織部・志野をはじめとする美濃など多様な様式と華麗な絵付けに魅了されました。その後1990年代に入って、しばしばデパートの巡回展をのぞきました。さらに世田谷美術館や足立美術館などでも目にしてきました。

しかし今回の「北大路魯山人」展は、幅広い創作分野にわたって見ごたえのある作品が揃っているとあって開幕日の3月13日に鑑賞しました。中でも陶芸は器形、表現技法とも変化があって、デザイン感覚も卓越していて堪能しました。


「金彩雲錦大鉢」
(昭和25年 個人蔵)

魯山人(1883−1959)は、京都・上賀茂神社の社家の次男、房次郎として生まれます。生まれてすぐ養子に出されるなど不幸な幼少期を過ごしていますが、養家の福田家が木版師であり、その家業を手伝うことから、文字や書に親しむようになりました。

1913年に京都に戻った後、京都や滋賀、北陸の旦那衆の知遇を得て、刻字による額の注文を受けるようになります。その時期の作品である「白銀屋」「書画禅」「瓦全閣」「同風軒」などは、字体も変幻自在です。今回の展覧会には、それらを含めた刻字や書画45点が出品されています。昭和期に入っても「修静堂」などの看板を手がけていますが、「良寛詩・竹林図屏風」などの作品もあって興味が尽きません。

陶芸に手を染めたのは1915年、山代温泉に滞在し須田菁華の窯場を訪ね、絵付けを初めて試みてからで、4年後には東京・京橋で古美術商を営み、翌年春にはそのかたわら会員制の「美食倶楽部」を発足させ、収集した古陶磁に自らの手料理を盛り付けて好評を得ます。


「織部鱗文俎板鉢」
(昭和25年 個人蔵)

さらに1925年に、東京・赤坂の星岡茶寮の顧問兼料理長として料理、食器の演出に携わります。そこで使用する陶磁器の調度品を自ら大量に製作しようと、翌26年に北鎌倉に星岡窯を築いたのでした。本格的な作陶に入ったのは、なんと40歳を過ぎてからでした。

陶芸作品では制作初期の「染付鯰魚向付」や「青磁長頸牡丹文壺」、星岡窯印のある鉢や向付、徳利が出品されています。昭和10年代の「色絵椿文大鉢」や「朝桜夕楓鉢」などは華やかな色付けがされています。昭和20年代に入ると「金彩雲錦大鉢」「織部鱗文俎板鉢」などはさすがに重厚な作品に仕上がっています。

なお今回の特別出品として、星岡茶寮で実際に使用されていた皿、向付、鉢などの食器も約40点展示されています。生涯を通じ陶磁器に鬼才を放った魯山人は、多種多様な作陶に挑み、専門陶工にはない趣味人からの発想による当意即妙な意匠の世界に新境地を拓いたのでした。  

しかし基本的には、中国・朝鮮・日本の古陶磁の様式の範囲を離れるものではなかったのです。兵庫陶芸美術館の担当学芸員の梶山博史さんは、魯山人の陶芸について、図録に次のように記しています。

魯山人の陶芸作品において、昭和10年代以降、古染付風や古九谷風の磁器よりも、志野・織部風の作例や、雲錦手・椿文の鉢など乾山風の作例が俄然増加したことは、(中略)窯跡の発掘や実業家たちの茶の湯ブームと決して無関係ではないだろう。魯山人は、創作の糧となる古陶磁を貪欲に追求し、自らの作品にそのエッセンスを反映させたのである。

本展では、書や陶芸作品だけではなく、「武蔵野富士図」「赤絵鉢之図」などの絵画や、「一閑張日月椀」・「漆絵桐文円卓」などの漆芸品、さらには「鉄製葡萄文吊行燈」・「鉄製武蔵野透置行燈」などの金工品まで出展されています。

共感する日本美追求のエッセンス


「漆絵桐文円卓」
に器を並べての展示

それゴッホだ、やれルノアールだ、さらにはピカソ、フェルメール……。まるで美術展は西洋絵画が凌駕した感があります。ところが等伯や魯山人の二人の天才が遺した作品には日本美のエッセンスが込められ、見る者の心に響くものがあります。

等伯の数々の名作の中でも、水墨画に東洋の奥深い表現世界が存在します。とりわけ「松林図屏風」は、近づいて見ると荒々しい筆づかいで迫力があります。離れて見ると手前にある松手は濃く、奥にある松を薄い墨で描くことによって、林の中を流れる空気を、そこに靄が立ち込めているように感じさせます。「描かずして描く」という幽玄美の世界は東洋特有のものです。

色彩豊かな西洋絵画と比べ何と言う奥ゆかしさでしょう。一見、何の変哲も無い松林を墨一色で表現する描写にこそ東洋の、さらに言えば日本古来の絵画における精神性と、特有の「美の表現力」があります。


作品の解説をする
担当の梶山学芸員
(中央)

古陶磁の写しから始まった魯山人の作陶は、研鑽に研鑽を重ね、古陶磁の普遍的な美や、その時代に応じた精神を汲み取り、単なる写しを超えた独特の作品を創り上げていったのではないでしょうか。この背景には、才能と努力に加え、それぞれの時期に技術面を支える芸術家たちとの出会いと協力があったのでした。

魯山人はピカソと会ってもほとんど感化を受けず、西洋モダニズムを取り入れず我流を押し通した姿勢にこそ魯山人の真骨頂があったのです。

天賦の非凡な才能を遺憾なく発揮した二人の天才が生んだ名作は、私たちに東洋の、日本の美を再認識させてくれるのに十分でした。

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

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内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
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内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
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定価:本体1400円+税
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内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
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内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
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定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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