多様な表現、3人のアーティスト

2009年12月31日号

白鳥正夫


作業中の藤嵜一正さん

「美を描き、美を救う」活動を精力的に続けられていた平山郁夫画伯が12月2日にご逝去されました。朝日新聞社時代から文化事業全般にご指導と助言をいただき、当サイトでも何回か取り上げさせていただいた平山先生のご逝去に心から哀悼の意を捧げます。さて2009年の締めくくりですが、この1年間も多くの美術館やデパートで数多くの作品を見ることができました。と同時にこれらの美術作品を創る作家たちとも出会いました。今回は、2009年印象に残った3人のアーティスト、木漆工芸の藤嵜一正さんと画家の坪田政彦さん、そしてイラストレーターの黒田征太郎さんを取り上げます。

木漆工芸を究める藤嵜一正さん


受賞作品「欅拭漆剥貫稜線筥」

藤嵜一正さんとは、時折画廊でお目にかかっていました。名刺は手製で、木漆工芸の肩書きに名前、裏面には日本工芸会と大阪工芸協会の正会員とあり、住所・電話番号なども、すべて筆書きされていました。作品を見たことが無いので、「アトリエをお訪ねしましょう」と伝えていました。その本人から9月に、第56回日本伝統工芸展で高松宮記念賞を受賞したとお聞きし、その後NHKの日曜美術館で紹介されるとの葉書を受け取りました。

ちょうど上京の機会があり、三越で開催中の展覧会に出向き、やっとというか、いきなり栄えある受賞作を鑑賞したのでした。「欅拭漆剥貫稜線筥(けやきふきうるしくりぬきりょうせんばこ)」と難しい名前の付けられた作品は、木目の美しい素朴な箱で、簡潔なデザインながら存在感がありました。審査にあたった東京国立近代美術館の唐澤昌宏・主任研究官は「ゆるやかな曲線と大きな面との構成の対比が見事で、柔らかさの中にもシャープさを感じさせる」と評価していました。


制作した作品の展示棚

12月中旬、初めて大阪・南船場のアトリエを訪ねました。ビルの3階にあり、「槌工房」の看板が掲げられていました。玄関を入ると一部展示棚があり、飾り箱や盆・鉢・皿など各種器が飾られていました。文机や座卓など少し大きいものから状差しや靴べらの類まで「木で作れるものならなんでも作ってきました」と言います。

アトリエは約130平方メートルの広さで、資材置き場、作業場、塗り場と大きく分かれています。木工は分業が主流ですが、藤嵜さんは材料を断裁しノミで削り、カンナをかけ、漆を塗る仕上げまで一貫作業をしています。木槌を使う手づくりのイメージが、まさに「槌工房」なのです。


ノコギリや大小の
カンナの架かった棚

藤嵜さんは幼児から工作に興味をおぼえ、中学校卒業後に木工の道に入ることを決めました。守口で職業訓練を受け勤めに出ましたが、富山県の木漆彫家の瀬尾孝正さんに師事した後に人間国宝の故黒田辰秋さんに師事し、28歳で自立しました。以来40年余、こつこつと制作を続け、今回の日本伝統工芸展では最年長の66歳で3度目の受賞となりました。

受賞作は約2ヵ月かけ仕上げたそうです。「5年前に北海道の富良野のなだらかな稜線を見て、雄大な自然を自作に表現したい」と思ったと言います。いろいろ話を伺っていると、私が展覧会を担当した備前の陶芸家の森陶岳さんの旅行用の硯箱も作ったことがあり、意外な接点に驚きました。

人智を超えた窯変のある陶芸作品と違って、木工作品はすべて手づくりです。加えて漆まで施す藤嵜さんには素材を生かす木への愛着があるのです。「漆は木が流した血液です。その命のしずくを木に戻してやるのです」「工芸は使われこそ生きてきます。200年先まで使えるものを作りたい」と、モノづくりへの精神が言葉に表れます。

アトリエには弟子が3人通っています。「弟子というより同志の集まりです。若い人にモノづくりの良さに触れてほしい。私から学ぶものがあれば大いに盗んでほしい」と言う藤嵜さん。「私は技術より感性が第一だと考えています。感性は自分で磨くしかないのです」と、言い放ちました。

点と線の絵画世界、坪田政彦さん


教え子たちに囲まれた
坪田政彦さん

画廊を回る楽しみの一つは、美術館とは異なり作家と出会えることです。作家は個展のオープニングには顔を出しており、時には酒席を共にすることもあります。坪田政彦さんとはしばしばお会いしていましたが、11月に大阪・山木美術で開かれた個展には、教え子たちも駆けつけ、会費制の楽しい懇談会も催されました。

坪田さんは1947年姫路市に生まれ、大阪芸術大学芸術学部美術学科を1970年に卒業。大学では瑛九や早川良雄らとデモクラート美術家協会を結成した故泉茂さんに師事しています。卒業の翌年に早くも初の個展を開いており、シルクスクリーンによる形の明確な作品で評価されました。


「点・境・点−12」

兵庫県立近代美術館と朝日新聞社が共催し、後に私も担当していた「アート・ナウ '76」展に小清水漸さんらと新進作家として選出されています。『アート・ナウ全記録』によりますと、新鮮な造形表現と評価されています。

1980年代からは、刷ったインクを拭きとったり、紙に穴を空け、消去や不在などを造形として表現する独創的な作品を試みます。さらに1990年代以降、油彩による作品にも領域を広げ、区切られた色面と点による表現の可能性を探っています。画面を四角く区切った上に点を配置する構成は、単純であるにも関わらず、独特の絵画世界を切り開いています。

坪田さんと初めてお会いしたのは2006年に山木美術で催した漆芸の角偉三郎さんを偲ぶ会だったように記憶しています。坪田さんは生前の角さんとも交流がありました。後日、高知の土佐清水で開かれた角さんと陶芸家の鯉江良二さんを交えたトークショーのスクラップ記事を送っていただいています。


「点・描−A」

坪田さんは現在、大阪芸術大学芸術学部美術学科教授として、後進の指導にもあたる立場ですが、トークの中で、「芸大では、芸術家になるより先生になる教育が多い。芸術を学ぶなら現場へ出て経験を積んだ方がいい」などと発言していました。

11月の個展では、点と線、そして色彩の広がりだけで構成された油彩、水彩、ドローイングなど新作30点余が展示されました。絵画(タブロー)・版画の他、最近は立体も手がけています。絵具で描くオイルオンペーパーの場合には、描いた後その作品を半年から一年間そのまま放置し、その上で画面をシンナーなどの溶剤で消しとっていくという手法を使っています。


山木美術での展示風景

坪田さんの作品は国立国際美術館はじめ姫路市立美術館、大阪府立現代美術センターなどパブリックコレクションも多く、その力量には定評があります。近年、ロシアやオーストラリア、韓国、中国、イタリアなどでも個展を開いています。

山木美術の画廊主の山木武夫さんは「作家は個性派が多いのですが、彼は人柄が温厚で義理や人情に厚い人は珍しいです。淡々としていて静謐な作風と同じです」と語っています。私も作品を鑑賞し懇談を重ねる度に、坪田さんの画家としての探求心や美意識に触れるとともに、作品に投影される人柄にも魅力を感じています。

平和活動展開の黒田征太郎さん


自作の前で笑顔の黒田征太郎さん

黒田征太郎さんはイラストレーターとしてポスターや挿し絵で数々の受賞に輝き、壁画制作やライブペインティングなど幅広い活動を展開しており、その名は以前から知っておりましたが、11月3日の文化の日に広島市西区の行者山太光寺で行われたライブペインティングを初めて見学させていただきました。

この日はサックス、フルート、ピアノの女性トリオによる生演奏と太光寺僧侶による天台声明に合わせてのパフォーマンスでした。あらかじめ用意された幅3メートル、高さ1.5メートルものキャンパスに直感でアートを描いていきます。このイベントのうたい文句は「心をつなげば、気持ちがかさなる、未来を描ける」でしたが、完成した2枚の作品は、それぞれメッセージ性のある仕上がりでした。


ライブペインティングの黒田さん

黒田さんは大阪市生まれですが、出生後に西宮市に移り住みます。ところが1945年の神戸空襲のB29が帰還中落とした爆弾で被災し滋賀県に疎開します。こうした戦時体験もあって、平和運動を積極的に行なっており「ピカドンプロジェクト」を立ち上げ、広島や長崎、沖縄などで平和に関するイラストを描くなどの活動を続けています。

黒田さんは2009年8月にも広島の原爆ドームそばで、ポスターを即興で描くライブペインティングを行っています。津軽三味線などが演奏される中、黒田さんはクレヨンでポスターを作成。約2時間のライブ中に約30枚を描き販売しました。この時の売り上げは、核兵器廃絶キャンペーンの資金として市民グループに寄付しています。


音楽に合わせ描かれた作品

行者山太光寺でのライブでは、音楽や声明のリズムに時折、身体を揺すりながらそれぞれ30分足らずで描く気迫に観客も驚嘆していました。この後のトークで「広島でこうした活動を出来たことに意義があります。若者や子供たちに平和を訴える絵を、これからも描き続けたい」と語っていました。

1939年生まれの黒田さんは70歳です。しかし年齢を感じさせないパワーにあふれていました。終了後、労をねぎらうと、「まだまだやりますよ」と『ヒロシマ・ナガサキ議定書を読む絵本』や9月に北九州市の松本清張記念館で行った近藤等則さんとの「ミル・キク」ライブのDVDをプレゼントしていただきました。


声明に合わせ描かれた作品

絵本で、近藤等則さんは「黒田さんと僕がやっているPIKADON LIVEは、答えを求める作業ではなく、更なる疑問を投げかける行為ではないだろうか。『人間とは何ぞや、生命とは何ぞや』核兵器の廃絶を願う時、この疑問を一人一人の魂に深く問いかけなければならない。宇宙の恐ろしい程の沈黙の中で」と結んでいます。

黒田さんはニューヨーク在住を経て、2009年より福岡県北九州市在住ですが、大阪と東京にも活動拠点を置き事務所がありスタッフがいます。いまやアトリエにとどまらず、各地で平和活動も展開するアーティストとして、今後の活動に、一層注目したいと実感しました。

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけないことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
「ぶんかなびで知った」といえば送料無料に!!
 

 

もどる