知床の旅で学んだ「共生の風景」

2009年9月5日号

白鳥正夫


流量もたっぷりの
「オシンコシンの滝」

この夏、知床を訪ねました。知床と言えば、手つかずの自然美が残り、2005年に世界自然遺産に登録されています。それゆえ環境保全と観光開発の矛盾する課題に直面しているのです。この地を20数年前から定点観測しているのが、行動作家で知られる立松和平さんです。この山里に、立松さんの尽力で造られたお堂があり、毎年法要が営まれています。立松さんの誘いもあって、15周年を迎えた節目の例祭に出向いたのでした。地元の人たちに加え全国各地から約300人が駆けつけていました。そこには人と人、人と自然、動物と自然の「共生の風景」がありました。

野生のシカ、キツネ、クマも出没


知床連山を湖面に映す知床五湖

関西から空路で知床に入るには、これまで羽田か札幌を経由し乗り継いでいましたが、今年6月から関空−女満別の直行便が運行されたのでした。大阪を発って2時間余り、まさにひとっ飛びで北の大地に到着です。空港で立松さんらと合流しました。私は立松さんの知人で、地域おこしに取り組む自動車販売会社の佐野博社長の車に同乗させていただき、斜里町まで約50分のドライブを楽しみました。少し起伏がありますが、雄大な羅臼岳を望みながら丘陵地を駆けました。

今回の旅の目的は知床の観光ではなく、立松さんが勧進の法要参列と、前日に開かれる「知床世界自然遺産フォーラム」の聴講でした。とはいっても合間を縫って、知床半島にも足を伸ばしたのでした。沿道には野生のシカやキツネを見かけました。国道沿いにオシンコシンの滝があります。日本の滝100選の一つで落差が80メートルあり、流量も豊富でした。


五つの湖を回れる木造の散策路

さらに車を進めると、知床連山の懐に5つの湖があります。知床五湖は原生林の中にひっそりとたたずみ、静寂そのもの。木造の散策路が設けられ、本来なら順繰りに巡回できるのですが、クマが出没する恐れがあり最初の二湖だけしか見ることができませんでした。知床連山を湖面に映し優美な光景でした。入り口近くにはオホーツク海が望める展望台があり、木造の通路が整備されていました。

知床岬へは国立公園の特別保護地区に指定により陸路は制限されており、ウトロ港からのクルーズ船だけです。海岸線に沿って進む海から奇岩や壮麗な滝、さらには知床連山の眺めはすばらしいと思えますが、次回に持ち越しました。冬の知床は雪に閉ざされ、海は流氷に覆い尽くされます。そうした厳しい自然ゆえ知床は特有の海洋および陸上の生態系を保持してきたといえます


ヒグマ注意の立て看板

森には針葉樹と広葉樹が繁り、その大木にオジロワシやシマフクロウなどの絶滅危惧種の鳥が生息し、様々な海鳥が巣をつくっています。陸にはヒグマやエゾシカ、キタキツネなどの野生生物が暮らし、海にもトドやアザラシ、イルカなどが生息しています。

知床では冬に流氷が運んできた多くの植物プランクトンを春に氷が溶けると小魚が食べ、その小魚も大きな魚や鳥の餌に、そして川を遡上するサケはクマの餌に、といった食物連鎖が繰り返されてきたのです。そしてこの地に入植した漁師たちもその自然生態系の中で暮らしているのです。


オホーツク海が望める
展望台への木道

今回は知床の魅力を垣間見たのに過ぎませんが、知床五湖を散策していて一つの立て看板が目に留まりました。そこには「ソーセージの話」が書かれていました。ワゴン車で観光していた客が与えたソーセージを食べたコグマの実話でした。この初めての魅惑的な食べ物を味わったコグマは人馴れし、市街地にまで出没するようになったのです。本来なら知床の森で生まれ、その地の土に戻る運命だったのに、観光客の心ない一本のソーセージによって、ついに射殺されたとのことでした。

昔の村に3つのお堂を建て法要


全国から集まった人を迎えての
歓迎宴

立松さんは大学生時代に知床に来て、自然いっぱいの秘境を知ったのです。そして20数年前にテレビの仕事で何度か取材しているうちに、ログハウスの山荘を買い求めたのでした。その仕事とはテレビ朝日の報道ステーションの番組で、時々、現地からリポートしていたのをよく憶えています。私は知床のすばらしさを知ると同時に立松さんの語り口調に惹かれたのでした。

立松さんは「知床にはヒグマやオオワシ、トドなどの自然生態系が残っているだけでなく、そこには入植した開拓民が自然と共生し細々と生きているのです。漁師の立場で言えば、クマは人を恐れない。漁師もクマを恐れなくなった。クマはクマを生きている。ヒトもヒトを生きなければいけない、ということです。知床ではこの点に本当の価値があります。人間の生態系があって漁師がそこで生活している点がすばらしいのです」と話しています。


生活者や行政の方が集い開かれた
「バトルトーク」

法要のあった現地は斜里町から知床半島のオホーツクラインを走って約40分、知布泊の林の中。ここにはかつて村の学校や神社があったといいます。土地の有志が30年前にその跡地に、大自然の中で語らい憩える場を作る運動を始めたのでした。平成の知床知布泊村の建設でした。その「村長」が佐野さんです。佐野さんらが立松さんに神社復興を依頼したのがそもそもの始まりです。

立松さんは友人の法華宗の日照山法昌寺福島泰樹住職に相談して、北方の守護神でもある毘沙門天を祀る毘沙門堂を15年前に手造りしたのでした。細部は大工さんに仕上げてもらったが、みんなで板を切り、丸太を運んで建てた、といいます。その後、法隆寺の支援で聖徳太子殿と観音堂が建立されたのでした。


立松さんを司会に
「知床世界自然遺産フォーラム」

法要には、福島住職をはじめ法隆寺の大野玄妙管主や京都仏教会理事長で相国寺派の有馬頼底管長ら僧侶だけでも26人も参列しました。立松さんが法衣を身にまとい勧進の役を担っていたのです。「一大行事になり地元の負担を考えると、15周年を機に縮小しなければ」と、立松さんは気をもむが、地元は多くのボランティアで盛り上がっていました。

私たちが到着した夜には歓迎会が開かれ、海や山の幸のもてなしがありました。また法要の日の午後には、私が出席できなかったのですが、野外広場で懇親会が盛大に持たれました。これらの受け入れにはじもとから多くのボランティアが参集していたのです。

佐野村長は「村を起こして30年になります。年とともに人が人を呼び、全国から多くの人が訪れていただき、そして立松さんをはじめ村民との友好は、何事にも代えられない財産となりました。知床が世界遺産に登録され、これまで以上にあるべき姿が問われています。自然と人間との共存、環境問題など課題は山積していますが、村おこしの精神が後世にいき継がれることを願っています」と話していました。

失ってはならない自然の生態系


法螺貝を先頭に
法要のための関係者の行列

法要の前日には、「知床世界自然遺産フォーラム」が斜里町で開かれたのでした。第1部は観光、農業、漁業関係者や行政の責任者が2時間にわたってバトルトークを交わされました。第2部では立松さんが司会を務め世界文化遺産の法隆寺の大野管主や、京都の遺産、金閣・銀閣寺を擁する相国寺派の有馬管長らによるパネルディスカッションも催されました。

知床では急増したエゾシカがウトロの街中を歩き回り、庭の植木や農作物を食い荒らし、冬場には立ち木の樹皮まで食べてしまい木が枯れるなどの問題が生じています。またクマも生息密度は高く、知床五湖周辺だけでなく人家や道路にまで出没しているのです。さらに問題なのは観光客の増加によって、車からの排気ガスが増え、せっかくの遊歩道も踏み荒らされてしまうなど様々な課題に直面しているのです。


知床三堂のうち
初めに建てられた毘沙門堂

保全か開発か―世界自然遺産に登録され5年目を迎えて、生活者や経済界、行政、識者といったそれぞれの立場から本音の意見が出され、多くの課題が露呈しました。しかしこうした議論を通じ、世界遺産への地域の取り組みの大切さを浮き彫りにしたのではないでしょうか。

知床と言えば、「知床の岬にハマナスの咲くころ…」の知床旅情が口ずさまれます。1960年の映画「地の涯に生きるもの」を主演した俳優の森繁久弥さんが撮影の終わるころに即興で作詞作曲したものと言われています。この映画は知床半島の奥地にある番屋と呼ばれる見張り詰め所に泊り込む漁師を主人公にしていました。


法要で勧進役を務める立松さん

その知床旅情は1971年に加藤登紀子さんが歌って大ヒットしました。加藤さんはその年、初めて知床を訪ねています。それから何度となく知床を訪れている加藤さんは、38年目の今年も旅しています。その印象をブログで、「私たちは、本当に知床の大自然を守っていけるのか。大きな責任を痛感する旅となった」と、知床の変化を憂いています。

世界遺産に登録されてからの知床では、ウトロの漁港近くの埋立地に道の駅が完成し、世界遺産センターなどの整備も進んでいます。一方、埋め立てに伴って海流の変化や、浜辺に観光業者が進出し、農業従事者のサービス業への転進など産業基盤の変化ももたらせているのです。

今まで知床を守ってきたのは、半島の中央部に連なる連山、そして岬への海岸にそそり立つ断崖など険しい知床自身の自然だったのだろうと思います。世界遺産の登録によって、むしろ加藤さんのような指摘も理解できました。

「知床はいつまでも知床であり続けてほしい」。立松さんの願いが切実に感じられた旅でした。帰路、ほとんど車の出合わない道を女満別空港へ走り抜けました。「共生の風景」が営々と続くことを願わずにはいられませんでした。


法要後には宗次郎さんの
オカリナ演奏も


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけないことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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