語り継ごう「戦争の記憶」

2009年8月6日号

白鳥正夫

今年も8月はめぐってきました。64年前の8月15日に戦争が終わったとされますが、東南アジアの各地で戦っていた日本の軍人たちは抑留され、満州で生活していた民間人たちは、理不尽なソ連軍の侵攻で命からがら逃亡していたことも事実だったのです。そして復員した元兵士は、過酷な戦時体験や罪悪感などを引きずって生きているのです。「戦後は終わった」とよく耳にしてきましたが、国家間の戦争は形の上で終結しても、戦争の後遺症を背負った家族たちが私たちの周囲にいます。大阪の小さな出版社には今なお数多くの戦争体験の手記が寄せられているのです。


第22集まで揃った『孫たちへの証言』

証言集が並べられた本棚

『孫たちへの証言』第22集を刊行


寄せられた体験記に目を通す
福山琢磨さん

新風書房(大阪市天王寺区)は23年前から毎年、庶民の戦争体験記を募集しています。これまでの応募総数は1万4650通に達し、各年ごとにテーマを決め『孫たちへの証言』を刊行してきました。この1年間に909通の手記が寄せられ、そのうち81編を掲載した第22集「あの時代の記憶を記録にとどめよう」が今年も8月に発行されました。

応募数は戦後50年の1212通をピークにここ3年、300通台と減少が続いていました。しかし東京の全国紙に原稿募集の記事が掲載されたこともあって、今回は関東を中心に急増したそうです。それにしても20年余におよぶ地道な出版活動は、新風書房代表の福山琢磨さんの「記憶は一代、記録は末代まで」の信念に支えられた取り組みがあったからでした。

福山さんは印刷会社と出版社を創業し経営する傍ら、自分史研究に取り組んできました。現在も大阪と東京のカルチャセンター4ヵ所で「自分史の教室」の講師を務めています。長年の指導で、書かれる自分史の話が戦争体験が圧倒的に多かったこともあり、庶民の記録として『孫たちへの証言』の出版を思いついたとのことです。


宮川大助さんの父、
松永士さん(NHK番組より)


スタジオで涙ながらに語る
宮川大助さん(NHK番組より)

毎年のテーマを考え「自分だけの記憶にとどめないで、孫に手紙を書くような気持ちで」と呼びかけてきたのでした。寄せられた手記はすべてに目を通し、ランク付けをします。そして掲載候補者には手紙や電話で問い合わせるなどして、校正、編集に取り組んできたのです。4ヵ月かけ夜なべの仕事と言います。机の側には各地から寄せられた見終わった手記が段ボール箱に納められていました。75歳の福山さんにとって、まさにライフワークといえます。


テレビ番組で取材される
福山さんを掲載した
自分史友の会報

私が福山さんのことを知ったのは2001年11月12日の朝日新聞夕刊に紹介された自費出版ブームの背景を取り上げた記事でした。その中で『自分史 20世紀の回顧』を出版された福山さんのことが取り上げられていました。書くテーマや手書きからワープロ、ビデオ、インターネットなどへの移り変わりなどについて触れていました。その後、『孫たちへの証言』のことや、大阪の文化を紹介する雑誌『大阪春秋』の出版を継承するなどの話題が報じられ注目していたのです。

初めてお会いしたのは2007年6月に開かれた大阪府文化情報センターの懇親会(通称文情サロン、現在は廃止)でした。面識直後にいただいた封書には、大阪の新聞興亡史を特集した『大阪春秋』(通巻125号)が同封されていました。その後、文情サロンでしばしばお会いし、活動資料なども伝えられました。2008年6月には、私の知人が関わるマスコミ関係者らのNPO法人の講師にお招きしたこともあります。福山さんの変わらぬ熱い思いを深く知るにつれ、このサイトでの紹介のタイミングを図っていたのでした。

大助さんの父の手記を元に番組


新風書房の事務所

そうした時期の7月22日夜、NHK総合テレビの番組で、漫才コンビ大助・花子の宮川大助さんの家族を取り上げた「ファミリーヒストリー」が放映されました。大助さんが生まれる前、鳥取県境港で大工をしていた父親の松永士(つかさ)さんは戦前、朝鮮半島に渡り満州鉄道の社員になります。終戦直前の1945年8月9日、突然ソ連軍の侵攻が始まります。妻と8歳と5歳の娘に、生まれたばかり息子を連れ、約60キロ離れた避難列車の出発駅をめざしたのです。

この逃避行の状況は、『孫たちへの証言』第6集に収められていたのです。

満鉄の職員家族との行軍が始まった。川原や山の中で野宿した。子どもをはげましながら歩いた。荷物と子供の重さが私の身にこたえる。がんばって歩いた。1歳の律夫は妻が抱いている。一年生の紀子はけなげにも付いて歩いたが、三日目にもなると歩けなくなった。捨てていくか、住民にあずけるか、それとも殺すかしなければならない。皆がぐったりとつかれた。そのとき満鉄のトラックが来たのである。天佑であった。子供だけ乗せて去った。

そして手記は次のように結ばれていました。

三人の子供もどうやら無事であった。それから約一年間の収容所の生活は言葉に表せない苦労の連続であった。小学校の運動場には病死人の山ができたほどである。私たち五人は死ぬ者もなく細々と生きていた。(中略)舞鶴へ帰った。日本の港を見ながらあぁ故郷へ帰ったと、滂沱と涙を流した。


編集や経営をてきぱきこなす
福山さん

帰国後、大工に戻った松永さんは大助さんら3人の家族も加わりますが、1999年に永眠しました。寡黙だった父親は、苦労して引き揚げてきた戦争体験を、大助さんにほとんど語ることがなかったといいます。番組はドラマ仕立てで、ナレーションが臨場感を高めていました。スタジオでこの番組を見る大助さんの表情を丹念に追っています。戦争に翻弄された肉親の苦難を見て、大助さんは涙ながらに「この世で一番尊敬する人物は父と母」と繰り返す姿が印象的でした。

『孫たちへの証言』は、2006年9月のNHKのETV特集「祖父の戦場を知る」でも取り上げられていたのです。取材時にお借りしたDVDを見ると、祖父の戦争体験を受け継ぐ孫の取り組みが描かれていました。冒頭に福山さんが手記に目を通している光景が映し出されます。福山さんは孫の世代からの投稿に「肉親の戦争体験を大人になった孫たちが向き合い、語り始めたのです」と分析しています。

祖父が遺した「自分は畳の上で死ねない」という言葉の意味を知りたいと追跡調査する若者や、兵隊を志願した祖父の生き方をテーマに卒業論文を書いた女子大生、初年兵の時に上司の命令で敵の兵士を殺したと告白した手紙を受け取った娘と孫の家族観の変化などが克明に映されていました。戦争がもたらした体験は、家族にとっても世代を超え重く深いのです。

生々しい庶民らの記憶が記録に


福山さんの自分史教室

第22集には、宮古島での沖縄戦で自宅を消失した女性(81歳)は、空襲や艦砲射撃の恐怖に触れ「離島である宮古島の犠牲はマスコミも取材してない。多くの愛する人々の死を申し訳なく思い、事実を記録することでお詫びしたい」と、記しています。また長崎の原爆投下時、馬乗りになった姉に助けられたという男性(67歳)は「今にして思えば、その時光を見なかったことが幸いしたらしい」と綴っています。

さらに8月15日昼の出撃が中止された特攻隊員(83歳)の告白も掲載されています。終戦間近、従来のゼロ戦や艦上攻撃機ではなく、「赤とんぼ」といわれていた布張り、2枚翼の「中間練習機」に60キロの爆弾2筒を搭載しての特攻だったといいます。そして15日未明出撃した第一陣の23機は全機戻らなかったそうです。「第二陣は私達であったが、終戦の詔勅が出て、出撃が中止となった。数百万の非戦闘員を殺傷していた米軍への報復を今やろうとしていただけに、徹底抗戦を司令に要求した」と、その当時の心境を書いています。


在りし日の久保田東作さん
(2007年10月)

福山さんは編集後記で「一編一編は著者の体験した戦争の一場面であって、戦争の全体像を表すにはあまりにもささやかであるが、巨大な悪魔の実像に迫ろうとする心意気である」とコメントしています。これらの手記を読み進めてみて、それぞれが短編で、もっと具体的な事実を書き込んでほしい、との感想もありましたが、こうした無名の人々が語り伝える行為に感動を覚えます。

私の手元に昨年89歳で亡くなった各国就・留学生助け合いの会を主宰していた久保田東作さんが書き遺した手記があります。久保田さんは元中支那派遣軍司令部特務部軍属に所属していました。捕虜収容所からめぼしい中国人を引き抜いてスパイに仕立てる仕事が与えられていました。そして中国の部隊に偽装工作をして敵の拠点の図面を入手したり、敵の作戦を入手する諜報活動に当たっていたそうです。終戦時には中国解放軍に身を置いていたこもある数奇な戦時体験があります。


白い広告の裏面に書かれた
久保田さんの遺稿

生前、出版したいと書き進めていましたが、転倒してから全身が弱り、晩年は入院生活をしていました。手記は身体の不自由な中、裏の白い広告用紙に書きなぐったものもあります。原稿用紙にして数百枚の分量に達しますが、未完です。今年1月に開かれた久保田さんを偲ぶ会で、参加者に報告をし、「死の直前まで伝えたかった戦争のことを、皆さんの力で何年かかっても本に仕上げてほしい」と呼びかけたのでした。

年とともに戦後世代が増え続けます。戦争の風化を防ぐ手立ては、新聞やテレビ、出版などのメディアによって繰り返し掘り起こし、伝えていくしかないのです。後世に生きる政治家が二度と過ちを繰り返さないためにも、庶民の意識こそ力なのです。政権交代が取りざたされる政治状況に無関心であってはなりません。

福山さんに今後の出版についてうかがうと「応募と私の体力が続く限り証言集を出し続けます」と断言しました。『孫たちへの証言』第23集のテーマは「庶民の体験でつづる《もうひとつの戦争》」です。1600字以内、締め切りは2010年3月末日。問合せ先は新風書房証言集係(06−6768−4600)です。

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけないことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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