「世界の宝」文楽を観よう

2004年5月5日号

白鳥正夫

 ルネサンスの本場イタリアから一転、足元にも世界に誇れる芸術がありました。大阪で生まれた文楽です。生誕350年の節目に「世界の宝」になりました。ユネスコは昨年11月、「無形遺産の傑作」に人形浄瑠璃文楽を選定したのです。文楽は人間の持つ「情」の世界を磨きぬかれた伝統の「技」で表現する質の高い芸術です。ところが現在、年間観客数は11万人台で伸び悩んでいます。今回の選定で、外人客や国内からも底上げを期待されております。地元関西の皆さん、甲子園で阪神を応援するのもいいですが、たまには文楽を観に行きましょう。

「無形遺産」の選定記念しパリ公演

 「無形遺産の傑作」いわば世界遺産となった文楽は今年2月、パリのユネスコ本部の国際会議場で上演されました。出し物は、年始に太夫と才蔵が家々を訪ねて新年を祝う「万歳(まんざい)」と、「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)からの「お園」。1000人を超すパリっ子たちを魅了させたということです。また出演者らが語りの太夫、三味線、3人一組で操る人形などについても、実演を交え解説をしました。
 私が初めて文楽を鑑賞したのは約10数年前です。近松門左衛門の記念イベントとして、有名な「曾根崎心中」だったのを鮮明に憶えています。実際に起こったニュースを近松が浄瑠璃に仕立て上演したのが始まりで、モデルのお初は堂島新地の遊女、徳兵衛は醤油屋の手代で、金のトラブルに巻き込まれ死を選ぶしかない悲恋の筋立てです。「この世のなごり、夜もなごり……」の名文句が心にしみこむ響きで迫ってきました。
 その後も年数回は観ています。近松作の「女殺油地獄」や「心中天網島」なども鑑賞しました。いつも鑑賞の手引きを購入する事にしていますが、前もってあらすじだけは目を通しておいて、舞台に集中することにしています。

「曾根崎心中」の名場面


 人間国宝の吉田玉男の操る人形には魅了されました。同じく人間国宝の吉田蓑助が脳出血で倒れる前の舞台もしばしば観ました。病を乗り越えて復帰しており、その至芸をぜひとも観たいと思っています。太夫では、薬師寺で時折お会いしていた人間国宝の竹本住太夫のよく響く声が好きです。

300年超す伝統、関西から発信

 文楽は、そもそも義太夫節という浄瑠璃を使って演じる人形芝居のことです。その語源は植村文楽軒という淡路出身の興行師が1790年ごろ、大阪に出てきて創設した「文楽軒の芝居」が発端になったとされています。もちろんそれ以前、竹本義太夫が1684年、道頓堀に竹本座を創設しております。1703年には、豊竹若太夫が豊竹座を立ち上げ対抗する形で繁栄しました。
 江戸時代、浪花で花開いた浄瑠璃は庶民の娯楽として大衆文化を支えてきましたが、座の移転や融合などを経て、1909年、松竹の手で公演されるようになります。しかしやがて赤字がかさみ、手を引きました。その後、1963年に財団法人文楽協会のもとに態勢を整え、今日の礎を築きました。1984年には、本拠地として大阪・日本橋に国立文楽劇場が開場しました。
 文楽劇場は黒川紀章さんの設計で外観は黒と白の重厚な建物です。内部は格子模様で、地上5階、地下2階、延べ床面積1万3千平方以上もあります。753席の劇場と159人の小ホール、展示室、図書室、研修室などを備えています。文字通り文楽を保存、継承する舞台となっており、年4回の公演をしています。

パリのユネスコ本部の舞台 (文楽協会提供)



「孫悟空」人形がテープカット

 文楽といえば、私にはこんな思い出があります。
1999年に「西遊記のシルクロード 三蔵法師の道」と銘打った展覧会を奈良、山口、東京で開催しました。三蔵法師の夢とロマンにあふれた旅をその足跡にからめ、行程にあった仏教遺跡からの出土品などに合わせ、「西遊記の世界」も展開することにしました。三蔵法師の苦難の旅は偉大であったがゆえに、次第に伝説化が進み、中国や日本ではテレビドラマやアニメ、漫画などにも登場するが、中国では京劇に、日本では文楽として上演されていました。
 そこで文楽人形の「三蔵法師」を出品してもらうため国立文楽劇場を訪れたのでした。
借用について快諾をいただいた上、展覧会に合わせて文楽公演ができる可能性もあるとのことでした。相乗効果も期待できることから、「ぜひ実現を」と働きかけました。国立文楽劇場では希望どおり「三蔵法師」だけでなく、天竺への旅に伴った「孫悟空」「猪八戒」「沙悟浄」の人形も借りることができました。さらに夏休み親子劇場として「西遊記」が1988年夏以来、11年ぶりの上演が実現したのでした。しかし痛しかゆしで、上演されると人形の頭、衣装は公演で必要になるわけで、展示から回収されることに。
 そこで国立文楽劇場では、「三蔵法師」の人形の頭と衣装は、「三蔵法師の道」展のためにもう一体制作しようという好意を示してくれたのでした。このため人形の四体すべて揃うのは奈良会場の途中までとなりましたが、「三蔵法師」の人形は全会場に出品されたのでした。展覧会開幕に先駆けて奈良県立美術館で内覧会が開かれましたが、そのテープカットに、平山郁夫画伯や柿本善也・奈良県知事らにまじって、国立文楽劇場の吉田文吾さんが操る「孫悟空」の文楽人形が特別出演してくれたのでした。

「三蔵法師の道」展で
吉田文吾さんが操る「孫悟空」
人形も一役
(1999年、 奈良県立美術館で)


 文楽人形の借用交渉の時に、冗談のつもりで話していた「開会式に花を添えてほしい」とのアイデアでしたが、「孫悟空」はひときわ鮮やかな衣装で、目をパチクリさせながら大役を果たしてくれました。当日は美術館の控室に海外のお客さんが大勢いました。吉田さんがサービスを買って出て、巧妙な指づかいで人形を動かすと大喜びでした。「孫悟空」が国際交流に貢献する一幕となりました。
 私は文楽劇場で開催されました「西遊記」に出向きました。吉田さんが操る孫悟空は、宙づりの熱演場面もあるなど大活躍でした。私にとって、お借りしていた衣装で演じる吉田さんは、とても身近な人に思えました。それだけに今回のユネスコの選定は喜ばしいことでした。
 文楽は300年以上も続く伝統芸ですが、竹本座と豊竹座が張り合っていたころの隆盛はもはや期待できません。しかし伝統の灯を絶やしてはならないのです。このため後継者の育成や、出し物も古典だけでなく、「西遊記」など新作にも取り組んでいます。課題は多いのですが、「世界の宝」への注目も高まってきました。この大阪で生まれ育った芸術を守るのは、私たちの責務でもあります。そのためには一にも二にも文楽劇場に足を運ぶことです。


しらとり・まさお
朝日新聞社大阪企画事業部企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から、現在に至る。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。


新刊
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたち平山郁夫画伯らの文化財保護活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者の「夢しごと」をつづったルポルタージュ。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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