見えないものへの挑戦―植松奎二展

2009年6月15日号

白鳥正夫


「螺旋の気配から−浮」の
立体と背後の壁面の作品と
植松奎二さん。
左端は渡辺信子さん

見えないものを見えるようにしたいと思いながら創作してきた――。空間の不可視の構造を虚構の装置によって顕在化する、何とも難解なアートで知られる植松奎二さんの日本での久々の個展「植松奎二展 螺旋の気配から―浮」がリニューアル・オープンした大阪市城東区のギャラリーノマルで7月4日まで開催中です。植松さんは「宇宙を支配する螺旋と、引力や重力がなければ我々が生きていくことが出来ない地球との関係から、地球と宇宙、自然と人間の存在にかかわる関係が示すような、小さな宇宙空間を画廊の中に創り出すことを考えた」と、今回の個展への抱負を語っています。このサイトでは2007年11月20日号で「河口龍夫展―見えないものと見えるもの―」を紹介していますが、根源的なテーマを問いかける現代美術の先駆的な世界へ迷い込んでみるのも、大いなる刺激です。

日本とドイツで彫刻の制作や発表


「まちがってつかわれた机‐地球」

植松さんは、1947年生まれで兵庫県神戸市出身です。1969年に神戸大学教育学部美術科を卒業後、1973年に第8回ジャパンアートフェスティバルで優秀賞、翌年には神戸市文化奨励賞を受賞するなど早くから頭角を現しています。1975年にドイツに渡り、以後は西宮と箕面、そしてデュセンドルフに居住しながら、両国を中心に創作と作品の発表を続けています。この間、1988年にベニスビエンナーレの日本代表に選ばれています。

日本では西宮市大谷記念美術館で二度にわたって大がかりな展覧会を開催されています。1997年に「知覚を超えてあるもの」、そして10年後の2006年には「時間の庭へ」といったタイトルでした。1997年の展覧会は私自身、植松さんの作品をまとまって鑑賞した初めての機会でした。木、石、布、金属などの素材を駆使して多彩な造形を試みていました。展示は室内にとどまらず和室や西宮市大谷記念美術館自慢の庭園の池にまで及んでいたのには驚きました。


「赤いかたち−傾」
(1977年、
西宮市大谷記念美術館図録
『知覚を超えてあるもの』から)

「浮くかたち‐軸」とか「まちがってつかわれた机‐水平・軸」とか「揺れるかたち‐自重」、さらに「間‐水平の木」「間‐垂直の木」といった作品は、先端のとがった円錐を石や木、角材、机などに触れさせ均衡を保っていました。もちろん材質の重さや設置する場所の壁や床、天井などとの関係を緻密に計算して展示されていました。こうした表現によって、目には見えない重力や張力といった物理学の法則を、見る者に感じさせようという作者の意図が読み取れます。

この展覧会を企画した学芸課長の篠雅廣・現大阪市立美術館館長は、図録の中で次のようなコメントを寄せています。

植松奎二作品を前にしたとき受ける一種の当惑や混乱、そして、「なんだか、困ってしまうなぁ…」とつぶやき始めたとき、すでに私たちは、造形作品による視覚的思考のとば口に立っているのである。

2006年の展覧会は見逃していましたが、手元に図録があります。それによると、西宮市大谷記念美術館では植松作品の収集を進め、資料も含め21点を所蔵するに至ったといいます。この時はコレクションと制作時に描かれたドローイングや新作を含めての展示で、「時間の庭へ」のタイトルは「一人の芸術家の過去を収蔵していく美術館という制度の時間、今生きている美術を展示し続ける彫刻家の時間、そして、この展覧会場で観客が過ごす時間。この三つが重なり合って、はたして、どのような化学反応がうまれるのか」(池上司学芸員)と発想したからだ、と伝えています。


「樹とともに−光」
(アートフェアズム 、
デュッセルドルフ・ドイツ、 2007)


「樹とともに−螺旋の気配」
(マイヤーホフ・プロジェクト、
デュッセルドルフ・ドイツ、2008)
以下7点ギャラリーノマル提供

螺旋で表現された宇宙への思い


「浮く石 」
(ボードワン・ルボン・ギャラリー、
パリ・フランス 、2008)

今回の個展の会場は創立から20周年を機にリニューアルなったギャラリーノマルです。代表の林聡さんが1989年に出版と印刷が一体化した版画工房ノマル エディションとして設立したのです。1999年には現代美術を発信する展示スペースを開設し、現在ではウェブ制作をはじめ、若手作家の映像作品などの制作、さらには展覧会ツールの制作や展示サポートなども手がけています。

植松さんの個展は1999年から2002年、2005年と2007年にも開いています。今回の展示では、白い壁で囲まれた空間の真ん中に「螺旋の気配−浮」が置かれています。銅製の大きな結晶体の頂とわずかな接点から、4メートルの高さで渦巻きのように10重の銅線が螺旋状に上昇しています。地球を構成する鉱物の象徴である結晶体と生命と無限の象徴としての螺旋が、重力を解き放たれたように表現されることによって、見えない地球と宇宙と私たちの関係を考えさせているように思えます。


「特異点へ−Singular point」
(西宮市大谷記念美術館、2008)

一連の展示として、同じ名の「螺旋の気配−浮」ですが、壁面に真鍮板をくり抜いた螺旋形が連なりその下に楕円形のまるで立体のような作品があります。「樹とともに−螺旋の気配」は、7重の螺旋が真鍮で出来た樹を包むように造形されています。ここでも枝や葉、花びらなど樹木の自然の中にある秩序と生命の曲線としての螺旋から、見えない宇宙の関係を示唆しているのです。

会場の片隅に置かれた「まちがってつかわれた机‐地球」も目を引きます。鉄で作られたテーブルに地球儀が半分埋まって形で乗っかっています。その地球儀の1点を指し示すように天井から真鍮の棒が吊り下げられています。棒の先端は赤道上に位置し、地球儀は回転します。ここでも目に見えない重力や引力、地球の自転などの関係を表現しているのです。


「螺旋の気配から」

私はこれらの作品を見ながら、「河口龍夫展―見えないものと見えるもの―」を思い起こしました。河口さんは、熱や光、電流といった「見えないもの」を意識させる作品や、鉄や銅の錆による質の変化、さらには種子と鉛による作品などを発表し、物質的な表面を見せながらも、生命や死、悠久の時間の流れや宇宙など、鑑賞者を哲学的な思索へと誘う表現を展開していたのです。

植松さんの作品は「見えないもの」を追求すると同時に、制作された作品は真鍮や銅などを使い円柱や螺旋を用い、造形的に、色彩的にも、とても美しい仕上がりです。一瞬の閃きで造形が形作られるのではなく、アトリエでその模型と図面の推敲に時間をかけ、綿密に設計していることが理解できます。芸術家の感性の若さに脱帽です。常に時代を読み取り、何をメッセージしようかと思索する精神が老いないからだと確信しました。現代美術の存在意義は、絶えざる発想で創作の夢を実現していくことにあり、見る者にとってそのメッセージが伝わることなのでしょう。

あさご芸術の森ではファミリー展


「花のように−螺旋の気配」
以上2点
(ノマル・プロジェクトスペース
キューブ&ロフト、 2007)

私が植松さんの名前を知ったのは、兵庫県立美術館で開催していた「アート・ナウ」です。共催していた朝日新聞社の企画担当者だったこともあり、過去の記録集などで出品されていたことを憶えていたのです。

作品を最初に見たのは1995年のことです。当時、朝日新聞社では目黒区、広島市現代、兵庫県立、福岡県立の4美術館と、戦後50年企画「戦後文化の軌跡 1945−1995」展を開催しました。文字通り視覚文化全般の検証で、3年近い準備期間をかけて実現したのでした。日本を代表するアーティストを取り上げましたが、植松さんの「見ること」(1975年)も選ばれました。初期の写真を用いた作品で、石と指の構成で影と実在、虚と実の関係を捉えていました。

その後、1997年に国立国際美術館で開かれた「重力 戦後美術の座標軸」などでも作品を鑑賞しましたが、お会いし懇談したのは一昨年の河口龍夫展の開幕レセプションと二次会の席でした。立体造形作家で奥さんの渡辺信子さんもご一緒でしたが、気さくな人柄が印象的でした。今回のノマルでのプレビューで、植松さんとそっくりの弟で陶芸家の植松永次さんや幼なじみの有友富行さんらと懇談し、国際的に活躍する彫刻家の現代美術とは縁遠かった高校時代までの隠れた一面を知ることが出来たのでした。





ノマル・プロジェクトスペースで開かれた
「軸・経度・緯度」の展示風景(2002年)

リニューアルオープンした
ギャラリーのマルでのパーティー

植松さんは、兵庫県・あさご芸術の森美術館で渡辺信子さんと子息の美術家、植松琢麿さんの作品と、そのテキストを担当する植松篤さんによるファミリー展「その森は謡う」展を7月12日まで開催中です。「芸術家の才能とは、受け継がれるものだろうか。先天的なもののほか、家庭環境が才能を生み出すといえるかもしれない」とは、朝日新聞に寄せた美術評論家の加藤義夫さんの評です。
最後に、植松さんが今回のノマル展の案内状に記したメッセージを紹介しておきます。

世界の構造、存在、関係をあらわに見えるようにして何かを発見したい。
見えないものを見えるようにしたいと思いながら創作してきた。
それはときには物と物とのあいだにある重力、引力といった目に見えない普遍的な力への関心であったり、根源的なるものと宇宙的なる力への素朴な関心である。
そして、自然や地球、宇宙といったものに囲まれている、人間の存在に対する問いかけである。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけないことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
「ぶんかなびで知った」といえば送料無料に!!
 

 

もどる