革命30年のイランを歩く

2009年5月5日号

白鳥正夫


「ノウルーズ」で飾られた
新年用の縁起物

今春、イスラム革命から30年を迎えたイランを実質10日間訪ねました。朝日新聞社の整理部に籍を置いていた当時、連日のように革命前後のニュースを追い、その変化を報じる見出しを付けた思い出がよぎります。革命の翌年には8年間に及ぶイラクとの戦争に突入したのでした。その時、イラクに加担したアメリカはイラクのフセイン政権を崩壊させるなど激動の中東にあって、はるか7000年前から悠久のペルシャ文明の歴史を刻んできたイランへの旅は好奇心を掻き立てました。ブッシュ前米大統領によって「悪の枢軸」とか「中東の火薬庫」とレッテルを貼られたイランですが、実際に訪れてみると、大方の日本人の先入観を覆すものでした。その印象記を綴ってみました。

新年「ノウルーズ」を家族で祝う


テヘラン都心から雪山を望む

「ノウルーズ」とは「新しい日」との訳で、イランでは太陽が春分点を通過する時刻を新年とし、今年は3月20日午後3時13分に迎えたのでした。私たちがテヘラン行き国内便の出発を待つタブリーズ空港でカウントダウンが始まり、待合所は拍手に包まれたのでした。イスラム化する以前からの年中行事で、街中は祝賀気分にあふれました。

公共の場はもちろん、ホテルのロビーや街角にも新年の縁起物が並べられていました。ペルシャ語でSの頭文字が付いた7種で、金魚や鏡、イスラムの聖典クルアーンなどです。さらに大麦を発芽させた小さな鉢もありました。正月は商店もほとんど休みで、家族や親戚が集まって新年を祝います。日本で失われつつある家族の絆は深久感じました。

 


ペルセポリスの「万国の門」

ペルセポリスの宮殿への
階段に描かれた
朝貢者の浮彫

世界遺産のイスファンの
イマーム広場

年の瀬のあわただしさは日本と同じで、バザールは買い物客でごった返していました。世界有数の産油国とあって、ガソリン代はリットル約10円そこそこです。このため自転車を見かけない程の車社会。道路は車であふれ、路地まで渋滞が続き排気ガスを撒き散らしています。都心部から望める4000メートル級の雪山も年々かすんできたと聞きました。ただ正月は外出が少なく道路も空いていて、美しい山並みを眺めることができました。

街を歩いて気付いたのが、ザカートと呼ばれる喜捨用のポストです。日本の郵便ポストの数より多くありました。イスラムの教えが国民に浸透しているのでしょう。旅の間、ホームレスや物乞いの姿を見かけなかったのも驚きです。どこの国にも格差が生じているのでしょうが、貧困者を家族や親戚、そして社会が支えているように感じました。

壮大な王宮しのぶぺルセポリス


アーチが美しい
スィー・オ・セ橋の
ライトアップ

ぺルセポリスは今回の旅のハイライトでした。地中海世界からインドに至る広大な領土を支配したアケメネス朝ペルシャの都で、紀元前6世紀後半にダレイオス1世が建設した宮殿群です。紀元前331年、アレクサンドロス大王に攻め落とされ廃墟となったのです。古代オリエント文明を代表する遺跡で1979年に世界遺産に登録されています。

12万5000平方メートルもの遺跡には、かつての壮大な王宮の痕跡をとどめる建造物が散在していました。あらゆる民族を迎え入れるという意味を持つ「万国の門」は4本の石柱が残り、一対の牡牛像と人面有翼獣身像に圧倒されます。ペルシャ王に謁見するためにやって来た様々な民族の姿を刻んだレリーフの階段を挟んで「謁見の間」や「百柱の間」などが往時のスケールを偲ばせます。帝国の繁栄を支えた「王の道」や「カナート」と呼ばれる砂漠の灌漑施設にも驚かされました。


砂漠の中に点在する
シルクロードの隊商宿

「私は王の中の王」と宣言したのはアケメネス朝を開いたキュロスII世です。征服したそれぞれの地域の伝統、しきたり、言語、宗教を尊重し、寛容な政策で統治し、巨大な異文化共存国家を形成しました。そして諸国、諸部族から貢物を携えた使節団を迎え、忠誠を誓わせる政治を行い、世界で初めての「人権宣言」を発したのです。そうした歴史を通じて自らの伝統に誇りと自信をもつイランは、革命後もアラブとは一線を画した統治を続けているのではと想像しました。

2007年夏、大阪歴史博物館で開催された「ペルシャ文明展 煌く7000年の至宝」を鑑賞した記憶が思い起こされました。展示品にはぺルセポリス出土品も数多く含まれていました。柱頭装飾や朝貢者の浮彫断片などで、この地からの出土だったのだと感慨深いものがありました。その図録の冒頭にイラン国立博物のムハマド・レザ・カルガール館長は次のような文章を寄せていました。

「人権宣言」は、つぎのような信念に基づいている。
「すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する」


鳥葬が営まれていた
ヤズドの沈黙の塔

紙数もあって書ききれませんが、イラン高原の中ほどのオアシス都市イスファンにあるイマーム広場も世界遺産です。16世紀にアッバース1世が手がけ何10年もかけて建造されたといいます。豪華な宮殿やモスクとともに幅500メートを超す回廊にはみやげ物やが軒を並べ、時の経つのを忘れるほどでした。」

このほかアケメネス朝が起こったシーラーズはバラと詩人で知られるファールス州の都です。携えた『ペルシャの詩人』(蒲生礼一著、1964年、紀伊國屋新書)に紹介されたサアディーとハーフィズを輩出した土地で、廟を訪ねました。さらにゾロアスター教の神殿のあるヤズド、トルコのカッパドキアを彷彿とさせるダブりーズ郊外のキャンドヴァーン村なども訪ねました。

なお厳戒、人質事件の米大使館


イランのカッパドキア、
キャンドヴァン村

革命の1979年に米国大使館占拠人質事件があったことは、記憶に生々しく残っています。アメリカが元国王を受け入れたことに、イスラム法学校の学生らが反発し、大使館を占拠し、アメリカ人外交官や警備員とその家族らを人質にした事件です。アメリカの救出作戦の失敗などを経て、イランは仲介国の働きかけなどでレーガン大統領の就任日に、444日ぶりに人質は解放されたのでした。

事件の現場を見たいとガイドに申し入れました。「バスで通過しますが、車を止めたり、写真は撮れない」とのことでした。宿泊していたホテルで市内地図で見ると、約30分の距離なので、翌朝散歩がてら訪ねました。広い敷地を一周したのですが、至る所に監視カメラが設置されていて、撮影禁止の看板も掲げられていました。大使館の塀にはアメリカを誹謗する落書きがそのまま放置され、建物は政府の管理下にありました。勝手口からナンが運び込まれていたのを目撃しました。警備員のためのものと思われました。アメリカと国交回復の日が来るのでしょうか。

ホメイニー廟に見た「存在感」


写真額が置かれた
ホメイニー師の棺

イラン革命といえばホメイニー師の顔が思い浮かびます。帰国前日にテヘラン郊外にある廟を訪ねました。地下鉄の最南端駅を降りると、ホメイニー師が眠る霊廟が見えてきます。廟は大きく建設途中でしたが、正月とあって、日本の寺社への初詣での様に参拝者が詰めかけていました。男女別の入口を入ると一面に絨毯が敷き詰められています。奥まった大広間に格子戸で囲まれた一角に写真額が置かれた棺が安置されていました。

現地の紙幣にも使われているホメイニー師は政府批判を続け、国外追放処分を受けフランスに亡命しますが、国外からも国王への抵抗を呼びかけ続けたのでした。1979年に反体制運動の高まりで国王が亡命したのを受けて、15年ぶりに帰国を果たし、イラン・イスラム共和国の樹立を宣言し任期4年制の大統領の上に立つ最高指導者となったのです。1989年に86歳で他界しましたが、最期の言葉は「灯りを消してくれ。私はもう眠い」であったと言います。


戒律の国ならでは
チャドル姿の女性たち

私たちがイランを去る前日の3月21日、ホメイニーの妻ハディージェ・サカフィーが93歳で死去しましたが、この廟に祀られるかどうかは不明でした。イランでは超保守派といわれるアハマディネジャド大統領の政治に不信感を抱く国民も多く、地方で接したガイドからも批判の言葉が漏れていました。ホメイニー師の存在感はなお大きいと感じました。

一緒に写真、親日的な街の人々

革命によって宗教が政治を支配する国となったイランでは女性はチャドル姿となり飲酒ご法度、快楽・世俗主義を排しています。あの『千夜一夜物語』の舞台は、文字通り夢の世界となったのです。しかし「人は抑圧されればされるほど、独創的な手段で意思を表明しようとするものだ」とは、2005年にヒロシマ賞に選ばれたイラン女性芸術家のシーリーン・ネシャートさんの言葉です。


イランの子供たちと筆者

交通機関などは男女で分けられているとはいえ、女性の大学の入学者は60パーセントを超すそうです。街中の洋装店ではファショナブルなドレスが並んでいます。中国と違ってインターネットが解禁されており、衛星テレビを見ることも黙認されています。アメリカを敵視する政治の方針とは裏腹に、国民生活の西欧化が急テンポに進んでいるのも現状です。

イスラム社会の戒律は私生活主義が蔓延する日本にとって見習うべき教えも多分に含まれていることも痛感しました。観光地や街頭で多くの笑顔に触れ、一緒に写真を撮りたいと申し出てくるイラン人が多く、とても親日的でした。イランと言えばイスラム宗教国、そして厳しい戒律と男女差別や抑圧の国、といった連想は単純すぎるように思えました。イスラームと民主主義を両立することの矛盾を抱え、革命30年後のイランの動向に注目したいものです。

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけないことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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