ヒロシマ賞受賞の蔡國強展

2008年12月10日号

白鳥正夫


ヒロシマ賞を受賞し
鯉江良二制作の
トロフィを手にした
蔡國強さん

2008年の最大のイベントは北京オリンピックでした。そして華やかな開閉会式を演出した芸術監督の一人が蔡國強(ツァイ・グオチャン)さんです。その蔡さんが、美術で「ヒロシマの心」を訴える第7回のヒロシマ賞に選ばれました。広島市現代美術館では受賞記念の「蔡國強展」を2009年1月12日まで開催中です。蔡さんは1994年に広島で開かれた第12回アジア競技大会の芸術展示として「地球にもブラックホールがある」とのテーマで野外プロジェクトを行っており、五輪の年に再び広島に迎えられたことになります。世界各地で壮大な挑戦を続ける蔡さんの創作世界を間近に見る絶好の機会です。

「破壊から再生」などテーマに

蔡さんは1957年、中国福建省に生まれました。1980年代後半から、中国で発明された火薬を使用した作品の制作を始めています。1986年から95年にかけて日本に滞在し、現在はニューヨークを拠点に世界を駆けまわり、「戦争と破壊」や「平和と再生」などをテーマに先駆的な作品を発表し続けています。とりわけ花火を使う芸術家として名を馳せました。


受賞記念の
「蔡國強展」開会日に
催されたレセプション
(広島市現代美術館)

蔡さんは2001年10月に上海で開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の記念イベントで、中国政府が国家威信をかけた一大プロジェクトを挙行しました。大都市化の進む上海を舞台に、23の建物を仕掛け花火で結び、コンピュータ点火によって夜空に巨龍を描くという大がかりなものでした。

花火がベートーヴェンの『歓びの歌』を表現したり、400メートルのテレビ塔が火と水晶の塔になったりする壮大なプランです。わずか20分のスペクタクルに使用した花火は数10トン、爆発物が20万個を超えました。スタッフ600人、警備に5万人が当たったそうです。日本円にして4億円とも5億円ともいわれ、ブッシュ大統領ら世界の首脳たちが見守りました。

「戦争の道具になる爆発物は、人々の心をつなぐ平和の道具になった」と蔡さんは語っていました。後日、上海でのプロジェクトをテレビ番組で見たとき、私は人間の仕事にかける情熱や、弾ける感性、さらには芸術家の個性の可能性に感嘆したのでした。

ヒロシマ賞は、世界最初の被爆地である広島市が世界平和と人類の繁栄を願う「ヒロシマの心」を、美術を通して世界へアピールすることを目的として1989年に創設されました。3年に1度の表彰で、第1回の受賞者が三宅一生でした。それ以降は外国人アーティストが受賞しています。朝日新聞社との共催で、私も第2回のロバート・ラウシェンバーグと第3回のナンシー・スペロの時には担当者の一員でした。


1994年制作の「地球にもブラックホールがある」の導火線点火とドローイング 
広島市現代美術館提供


この間に開催されたのが前述の「地球にもブラックホールがある」です。「アジアの創造力」と題された展覧会の第3部でインスタレーション・ワークに招かれたのです。この企画に関わった私にとって、初めて本格的な現代美術との出合いとなりました。

美術館や朝日新聞のスタッフにボランティアの学生らも加わって、ヘリウムガスで膨らませた風船に導火線をらせん状につるして点火したのです。ものすごい爆音と閃光と煙を発し、炎は瞬時に土中に吸い込まれていきました。近代都市として再生したヒロシマへの祝賀と鎮魂を願った作家の意図は、見る者に衝撃的な印象を与えたのでした。

火薬ドローイングの「水墨画」


広島のための
プロジェクト2008
「無人の自然」の
火薬ドローイング制作風景
(広島市立大学)
Photograph: Seiji Toyonaga
広島市現代美術館提供

ヒロシマ賞では朝日新聞社からトロフィーを贈呈しています。トロフィーの制作はこれまで彫刻家の清水九兵衞さんでしたが、亡くなられたため、今回から陶芸家の鯉江良二さんが制作しています。鯉江さんとも旧知で、今回のヒロシマ賞 は感慨深いものでした。贈呈式と記念イベントに駆けつけ、蔡さんとも懇談することができました。

蔡さんは今回、広島で二つの美術館外プロジェクトを実施しています。その一つが「無人の自然」と題した作品のための火薬ドローイングで、見事な山水図を描き出したのです。展覧会開幕直前に広島市立大学の体育館で半日かけ制作した そうです。体育館の床に3×4メートルの和紙を15枚つないで導火線と火薬を置き点火します。その焼け焦げた痕跡で描くのが、蔡さんの手法です。

横幅45メートルはこれまでで最大の作品です。大きな太陽や険しい山が半円状の壁面に描かれており、まるで水墨画を見るようです。展覧会場には約60トンの水をたたえた巨大な水盤が作品の前面に設けられ、水面にも山水図が映りこみます。幻想的な空間をかもし、遠くから眺めると雄大です。一方で「湖のほとり」を散策しているような気分を味わいながら鑑賞することもできます。

もう一つの「黒い花火」は開会日の午後1時から90秒間、太田川河川敷で黒色花火1200発を次々に打ち上げたものです。原爆ドーム後方上空に黒煙の固まりが上がり、原爆犠牲者への鎮魂と平和への願いを表現したのでした。

1994年時の当初案は、原爆が投下された同じ高さから、今度は平和の火を灯そうという計画でした。安全性の問題以外に、被爆者団体から原爆投下の再現を連想してしまうと意見も聞かれました。被爆者らは広島での鎮魂は空からよりも地中にあるとの言い分で、最終的には導火線に点火し、地中に掘った穴の中へ消える芸術表現に変更したのでした。


湖面にも映る半円状の大作「無人の自然」Photograph: Seiji Toyonaga 
広島市現代美術館提供

芸術家が自由な発想で創るアートの表現活動には、それを受け入れる社会との調和が課題です。かつて原爆で「黒い雨」を浴びた都市だけに、今回の「黒い花火」も同様の問題があったと思われますが、それを克服できたのは、蔡さんのその後の取り組みが評価されたのだと確信しました。


広島のための
プロジェクト2008
「黒い花火」の打ち上げ
(太田川河川敷)
Photograph: Seiji Toyonaga
広島市現代美術館提供

美術館の回廊には「キノコ雲のある世紀」のプロジェクトが紹介されています。日本からアメリカに移住して最初に始めたシリーズで、ネバダ砂漠の核実験場やマンハッタンビル群を望む場所などに出向き、小型の火薬装置によって、小さなキノコ雲を造りだし記録に収めたのです。核技術によって人類破壊の危機を生んだ現代文明の矛盾を表現するものです。

展覧会場では、過去の作品を再生した「無人の花園」も印象に残りました。1994年、いわき市立美術館での個展準備で訪れた際に海岸の砂に半ば埋まった廃船に着目し、地元の人たちの協力を得て、船を引き揚げ解体し、それを美術館で復元し作品として展示したのです。今度の広島では、この船を再利用し、花の咲く砂の丘にインスタレーション展示したのです。破壊や矛盾の後の再生を考えさせるメッセージを発しています。

さらに「9・11」テロを意識した「先へ進んでください、見るべきものはありません」は2006年にメトロポリタン美術館で発表された作品です。体長4メートルを超えるワニの複製に無数のナイフやフォーク、ハサミが刺さっています。空港の手荷物検査場で没収された品々です。核大国アメリカが家庭用品によって脅かされている歴史の皮肉を辛辣にユーモアをまじえ表現しているのです。


「無人の花園」2008年
Photograph: Seiji Toyonaga 
広島市現代美術館提供

「不透明モニュメント」(2006年、メトロポリタン美術館)も「9・11」とそれ以降に起こった世界的な出来事やそれに関わった人々の姿を中国の石彫職人らとの協働作業で制作した高さ2・7メートル、幅9・7メートルの作品です。攻撃されたワールドトレードセンターやブッシュ大統領、オサマ・ビン・ラディン、小泉元首相の靖国参拝まで彫り込まれています。世界の現代史を一覧し、あたかも絵巻物のように見せた蔡さんの発想力には驚愕させられました。  

人間や時代を問う「美術の力」

「また面白い事をやりましょう」。2002年の年明けにニューヨークからこんな便りが届きました。その年7月13日の日没後、神戸市の兵庫県立美術館南側の海上周辺の岸壁はただならぬ雰囲気に包まれていました。何が起こるのか、多くの人々が固唾を呑む中、海面にゆっくりと炎の帯が見え始めたのでした。強いアルコールの青い火を灯したトタンの小舟99隻が連なり、龍のように蛇行しました。「青い龍」と称した芸術パフォーマンスは、蔡さんが阪神淡路大震災で亡くなった人たちへの慰霊を表現する、現代の精霊流しでもあったのです。


「先に進んでください、
見るべきものはありません」
2006年

見て美しいものだけが美術ではありません。現代美術は、むしろ醜悪なものさえ対象に根源的な「美」を求め、人間の生や社会を問い、はては宇宙の神秘に至るまで、造形物を通し見る者に様々なメッセージを発信します。それは美術の「力」を示しているといえます。文字通り「美術の力 時代を拓く七作家」と銘打った展覧会が、新装された兵庫県立美術館で開催されたのでした。開館記念展第二弾として朝日新聞社が共催することになり、私もスタッフの一人として、開催の2年半前から取り組んだことが思い出されました。

神戸での蔡さんのプロジェクト「青い龍」は、震災で心に痛みを負った多くの人々に、美術の根源的な力に触れてもらい文化復興をアピールするものとなりました。99の舟は、「9」の数字に無限の意味を託した蔡さんのこだわりです。アルコールの青い炎は天空を清め、横たわる龍は天地を過去から未来へつなぐ意図を示していました。蔡さんは室内展示では小さな黄金舟99隻を空中につるしました。これは未来への船出を表現するもので、制作にはボランティアも加わりました。

ヒロシマ賞受賞記念イベントに戻りますが、開会翌日には、蔡さんと京都造形大大学院長の浅田彰さんの対談がありました。その中で次のようなやり取りがありました。  


「不透明モニュメント」2006年

浅田さんが、「ヒロシマ賞が、爆発によって爆発を批判する、そういう意味では危険なアーティストである蔡さんをヒロシマ賞の受賞者に選んだ。あえて黒い花火という過激なパフォーマンスを許容した、その広島市民の勇気と理解に敬意を表するとともに、長きにわたる協力関係の中でそのような理解を育みパフォーマンスをやってのけた蔡さんの手腕にあらためて賞賛の言葉を送りたいと思う」といった分析をされました。

これに対し、蔡さんは「自分の作品は、ただ戦争と平和だけの一元で終わりではなくて、もっといろんな角度から見てほしい。私が日本から一番影響を受けたのは、素材と形への徹底的なこだわりです。たとえば、オオカミが飛んできて、壁にぶつかって落ちてくる、というような作品を作る時、中国人アーティストはもっと血が出て、激しく恐ろしく表現するでしょうけれど、私はそのオオカミの美しさとかラインの詩的な感じとか、落ちたらまたそっと起きて、また飛んでいくという様子を作る。恐ろしさと美しさの臨界点をみせるのです。作品の裏にある美学なり哲学をもっとみせたい。その作品が持つ現実との距離、あるいは美学的な距離が大切だという考えは、日本にきてから身につけました」と、自分の芸術の本質を語っていました。


浅田彰さんと蔡國強さんとの対談

確かに今回の「無人の自然」や「無人の花園」の展示には、奥の深い「美」が追求されていました。現代美術は時代を深く読み取ったり、潜在しているものを描き出したりするため、前衛的であり、抽象表現を伴い難解な面があります。しかし蔡さんの創作世界は、私たちの既成概念や思考方法を覆すものです。私たちが日常生活の中で気づかない価値観を掘り起こしてくれます。それが美術の持つ「力」ではないしょうか。

久しぶりに再会した蔡さんに別れ際「次はどんな面白いことを見せてくれますか」と尋ねました。蔡さんは不敵な笑いを残して立ち去りました。

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

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