二人の画家展、強烈な印象

2008年11月1日号

白鳥正夫

「もしもピアノが弾けたなら 思いのすべてを歌にして きみに伝えることだろう…」という阿久悠さん作詞で西田敏行さんが歌ったヒット曲がありました。絵画の世界にも当てはまるのではと思わせる、絵筆を自在に操る個性豊かな二人の画家の展覧会をじっくり鑑賞しました。一人は日本画の田中一村(いっそん、1908−1977年)で、もう一人が洋画家の絹谷幸二(1943年−)です。まったく異質の画風ですが、強烈なオリジナリティーを発散しており、一枚一枚の作品に託した作家のメッセージが伝わってきました。


「アダンの木」
(田中一村 
1972、3年頃)
以下6点いずれも
個人蔵

「トラツグミのいる
秋色図」
(田中一村 
1945年)

「ユリと岩上の
アカヒゲ」
(田中一村 
1961年)

孤高の画家、田中一村の世界


「菊図」(田中米邨 1915年)

「田中一村―原初へのまなざし」は生誕100年を記念しての特別展で、11月24日まで奈良県立万葉文化館で開催中です。この展覧会のことは後述しますが、まず一村自体、近年まで知られていなかった画家です。没後の1984年にNHK番組の日曜美術館で「黒潮の画譜 田中一村」が全国放送され反響を呼んだのでした。私はそれより遅れ、1995年に同じ番組で「奄美の杜・我が心に深く 田中一村の世界」が放映され、全国巡回展を見て知ったほどです。

はじめて作品を目にしたのは大阪の高島屋での巡回展でした。ソテツやアダン、ビロウやアカショウビンなど南の島特有の植生や花鳥、魚を大胆に描いた作品群に目を見張りました。一連の「奄美の杜」と題された作品は鮮烈でした。と同時にこんなトロピカルな花鳥画をモチーフにした日本画家の足跡に大いに興味をそそられました。

いま私が、この南の島へ来ているのは、歓呼の声に送られてきているのでもなければ、人生修行や絵の勉強にきているのでもありません。私の絵かきとしての、最後を飾る絵をかくためにきていることが、はっきりしました。

この文章は一村が知人に宛てた手紙です。歓呼の声といえば、出征軍人を連想し、終戦後も南の島に潜んで暮らした横井庄一さんや小野田寛郎さんの生き方を想起します。晩年の19年をひたすら奄美に身を置いた未知の人・一村もなぜかこの二人に通底する一徹さを思わずに入られません。


「蓮」
(田中米邨 1927年)

「南天」
(田中米邨 1930年代)

一村の年譜によると、栃木県下都賀郡栃木町(現栃木市)に6人兄弟の長男として生まれています。若くして南画(水墨画)に才能を発揮し、7歳の時に児童画展で天皇賞を受賞しています。本名は孝でしたが、彫刻家で稲村(とうそん)と号していた父は、画才を認め米邨(べいそん)という画号を与えています。

1926年に東京美術学校(現東京藝術大学)日本画科に入学します。同期に東山魁夷や橋本明治もいます。しかし自らと父の発病により入学した年の6月に中退しています。その後、南画を描いて一家の生計を立てる日々でしたが、23歳の時に南画を離れて自らの心のおもむくままに描く日本画の道に進みます。ところが支援者の支持を得られず、一時は工場で働くことに。


万葉文化館の展示会場

1947年に川端龍子主宰の青龍社展に「白い花」が入選し、この時から一村と名乗ります。翌年にも2点を出品します。「波」が入選するも自信作の「秋晴れ」が落選し、青龍社からも離れます。

日展や院展にも出品を試みますがいずれも落選し、次第に中央画壇に失望するようになります。1955年に九州や四国へのスケッチ旅行が刺激になり、1958年の奄美大島行きを決意します。紬工場で染色工として働きながら奄美の自然を描き続けたのでした。中央画壇とは無縁となり、孤独と闘いながら焦燥の日々を過ごし、69歳の生涯を奄美で閉じたのでした。まさに一村は孤高の画家でした。

一村作品は2004年にも巡回し、心斎橋の大丸ミュージアムでまとめて見ることができました。この間、2001年に鹿児島県奄美パーク内に田中一村記念美術館もオープンしており、再会となった代表作の「奄美の杜」シリーズや「熱帯魚三種」「素描・エビ」などに加え、新しい作品や資料なども展示されていて、より一層、一村に惹かれました。

中央画壇から離れ、奄美に生きる


「マユミ 1988」
(絹谷幸二 広島市現代美術館蔵)

さて今回の展覧会に話を戻しますが、開会前日のプレスレビューに訪ねました。生誕100年にあたる年の唯一の展覧会であり、久しぶりに関西での開催という待ちわびた機会でした。会場では最後の展示仕上げの最中で、幸いな事に企画の中心的な役割を担われた万葉文化館の総合プロデューサーであり、一村の研究者として知られる大矢鞆音さんにもお会いし話をうかがえました。

この展覧会の特徴は、一般の目に触れることの少ない個人所蔵作品に焦点を絞っている点です。存在すら知られておらず、今回の企画調査で新しく見つかった10点をはじめ、初公開作品31点などこれまでの巡回展で展示されなかった作品で構成されていました。宣伝用のチラシには「100年目の100点展」と謳われていますが、実際には期間中に約150点が展示されるとのことでした。

「アダンの木」(1972、3年)は、過去2回の展覧会でも見ている印象的な1点です。アダンを手前に水平線の彼方を描いた海辺の構図ですが、南の島で孤独に生きる一村の心象風景も垣間見る思いがします。作品を眺めていると、なんだか一村の悲しみの深さにまで胸が突き動かされてしまいます。


「炎炎・東大寺修二会」
(絹谷幸二 2008年)

初公開の「菊図」(1915年)は小色紙ですが、米邨と号した7歳の作です。その早熟な才能をうかがえる1品です。「蓮」(1927年)や「南天」(1930年代)も初めての公開です。こうした米邨時代の南画作品も数多く出品されています。

一村は身のまわりの自然を熱心に観察しスケッチしていたかが、よく分かります。いずれも巧みに描かれており、後援者の求めに応じて描いていたのではないかと思われます。一村は売るための南画に物足りなさを感じていたかも理解できます。

大矢さんはNHK出版が出した『田中一村作品集』などを通じ、これまで22年間も調査し、約500点の作品を見てきたそうです。その大矢さんが著わした『画家たちの夏』(2001年、講談社刊)次のような一文を書かれています。

一村という作家の魅力は、単に作品だけでない、一人の人間としての生き方の中に、多くの人の心を惹きつけてやまないものがある。自分ではできなかった人生の決断、生き方を一村が果たしていることに共感を覚えるのであろう。一村に関わるとき、私をふくめて覚えず、深く、その人間性につかまってしまう。

なお、展覧会にはこれまで一村の父として名前は知られていたものの、作品が紹介されたことのなかった田中稲村の木彫作品や、一村が父譲りの手技で自ら彫った細工物・根付なども展示されています。その中に「木魚」(制作年不明)もあり興味深く見ました。

圧巻、絹谷幸二の「祭り」シリーズ


「乱舞・阿波踊りII」
(絹谷幸二 2008年)

一方、「絹谷幸二展―情熱の色・歓喜のまなざし」は東京、京都、大阪を巡回し、12月28日から1月12日までジェイアール名古屋高島屋で、2月4‐12日横浜高島屋でそれぞれ開催されます。こちらは高島屋美術部創設百年を記念しての開催で、10月に大阪高島屋で鑑賞しました。

「色彩はエネルギーの源。色彩は人を発奮させ、元気にする」と語る画家の思いが会場内にあふれていました。1966年の東京藝術大学の卒業制作作品から日本各地の祭りをダイナミックに描いた「祭り」の新作を加えた大作約50点を一堂に展示していて、まずそのスケールの大きさに度肝を抜かれる思いがしました。

絹谷作品に初めて接したのは、私が朝日新聞時代に企画した「ヒロシマ21世紀へのメッセージ展」の準備で1993年に広島市現代美術館を訪れた時です。同館のコレクション「テーマ・ヒロシマ」の要請で描かれた「マユミ 1988」と題された作品です。一度目にすると忘れない作品です。


「朝陽パリ飛翔」
(絹谷幸二 2007年)

頭部は原爆ドームに変化し、目から大粒の涙を流す人物の周囲には、崩れた十字架や花鳥、緑豊かな街並みなどが描き込まれています。マユミの口からは「Peace」の文字があふれています。明るい色彩で描かれていますが、平和に見える現代への警鐘を伝える作品です。

その後も絹谷作品を、独立美術協会展や両様の眼・現代の絵画展、さらには京阪百貨店での「夢見る力は生きる力」展などで見てきました。その度に構想力と創造性に驚かされました。加えて画家は奈良市生まれということもあり親近感を覚えたのでした。今回の展覧会にも、万葉文化館から「大和国原」が出品されていました。

新作の「祭り」シリーズは圧巻です。「炎炎・東大寺修二会」「乱舞・阿波踊りII」「絹の祇園祭」などいずれも2008年作です。むせかえるような熱気にあふれています。図録に岡山県立美術館の鍵岡正謹館長が「かねて祝福の絵画と呼んでいましたが、いよいよ本命を描きだした」との一文を寄せています。


「銀嶺の女神」
(絹谷幸二 1997年)

「銀嶺の女神」(1997年)は、1998年の長野冬季五輪ポスター原画ですが、マユミ同様、口から歌声が溢れ出しています。この件に関し作家自身が『アート・トップ叢書 絹谷幸二』の中で、「よく、僕の絵に言葉が出てくるんですけど。これなんかもタブーだったのですが、なんで絵の中に言葉があるんだ、これはマンガかとよく言われました。自由であること、これこそが表現する者として第一の要件だと思いますから、どんどん間口を広げなければならないと思います」と、明確に指摘しています。

田中一村と絹谷幸二は、日本画と洋画、暗と明、静と動……などまったく表現方法も異なる画家ですが、共に表現の自由を希求する自在の才能に恵まれていたのではないでしょうか。

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

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発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

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