二つのシルクロードゆかり展

2008年10月16日号

白鳥正夫


薬師寺の「大唐西域壁画」の
画殿を再現した特別展示室

7世紀に長安(中国の西安)から天竺(インド)へ仏法を求めて往復3万キロもの道のりを旅した玄奘三蔵の足跡は、無私の精神で仏教東伝をはじめ、シルクロード文化の交流に貢献したのです。国の垣根を超えた地球市民の先駆者として、21世紀の現在へも大きな指針をもたらせるものです。その苦難の道を追体験し、数々の作品に描いた「平山郁夫展 玄奘三蔵、求法の道」は11月30日まで佐川美術館で開催されています。また玄奘がたどった中央アジアのウズベキスタンの染織を中心に展示した「偉大なるシルクロード芸術特別展」が奈良公園シルクロード交流館で10月26日まで開かれています。朝日新聞社時代に「シルクロード 三蔵法師の道展」を企画した私にとって、感慨ひとしおの二つの展覧会を駆け巡ってきました。

薬師寺の玄奘三蔵画殿を再現


「大唐西域画」の展示風景

佐川美術館は開館時から平山作品がコレクションの核で、現在は本画52点を含む322点を所蔵し、シルクロード作品も数多く常設展示しています。今回の「平山展」は、佐川美術館開館10周年記念として、常設展に加え特別展示室に薬師寺の玄奘三蔵画殿の堂内を再現する形で大展開しています。

中でも「大唐西域画」の7場面13点は50号の絵画作品で、薬師寺の「大唐西域壁画」を多くの人に見てもらいたいとの画伯の意図で2007年に制作されました。佐川美術館の貴重なコレクションに加えられ、今回の展示の目玉になっています。


手前が大唐西域画
「ナーランダの月 インド」
奥は大唐西域壁画大下図

さらに平山郁夫美術館(広島県瀬戸田町)が所蔵する原寸大の大下図や壁画制作のプロセスで描いた大量のスケッチパネル、薬師寺玄奘三蔵画殿の10分の1の模型などが展示されていて、興味深く鑑賞できます。

担当の吉川和孝学芸員は「画家の壮大なテーマをたどる展覧会になっています。薬師寺の一大壁画までの積み重ねが下図やスケッチで確認できます。また下図と本画を見比べると、微妙に違っていることも見どころです」と指摘されています。

壁画の最後の場面となる「ナーランダの月 インド」の場面では、下図と本画を見比べてみますと、月の位置が左右逆に描かれている事が分かります。また本画の右下に陽炎のように微かに描かれた人物は玄奘と、壁画の完成を待たず逝去された薬師寺の亡き高田好胤管長の姿をダブらせたと解説されていますが、下図には描かれていません。


「大唐西域壁画」のプロセスを
窺えるスケッチパネルの展示

展覧会には、常設展示室も合わせると本画が約50点も並び、「仏教伝来」(1959年)以来、仏の道を追求した東京国立近代美術館所蔵の「入涅槃図」(1961年)や「建立金剛心図」(1963年)も特別出品されています。昨年11月、広島県立美術館で開かれた「平山郁夫祈りの旅路展」でも見ていますが、幻想的であり、思索的な作品で、いつまでも見入ってしまうほどです。

会期中、11月1日午後2時から1時間半、「玄奘三蔵と薬師寺」と題して薬師寺の安田暎胤管主の記念講演があります。また11月9日には中央アジアの音楽に精通した大平清さんの民族楽器によるロビーコンサートも催されます。お問い合わせ先は、佐川美術館(077−585−7800)へ。

玄奘の道を追体験した平山画伯


廊下をはさんで大下図(左面)と
スケッチパネルの展示

ところで玄奘は唐代初期の602年、現在の河南省に生まれました。13歳で出家し22歳で得度の後、仏教の生まれた天竺への旅を思い立ちます。国禁を犯して、629年8月に長安(西安)を出発するも、熱砂や氷山を超えての艱難辛苦の道のりでした。

しかし西方浄土で経典を入手する志を果たすまで、引き返さないという「不東」の誓いを立てたのです。そして17年かけて目的を達成しました。645年に帰国後は、太宗皇帝の命で『大唐西域記』を上呈し、玉華宮、大慈恩寺で訳経に専念します。玄奘が訳した経典は1335巻にのぼり、般若心経などが日本に普及したのです。


第一会場の平山郁夫館

玄奘の歩んだ道のりは、『大唐西域記』によって点と点を結ぶ形でおおよそ推定できますが、学術的なルートの解明はまだまだ不十分です。古道は大きく変わり、車や人だけでは踏み込めない所もあります。アフガニスタンでは戦火が続き、玄奘が仰ぎ見たバーミヤンの大仏などは破壊されてしまいました。

かつてアレクサンドロス大王やチンギス・ハーンが勇躍し、幾度となく興亡の歴史を刻んできたシルクロードは、古代から現代に至るまで旅人や隊商、侵略者らが通った要所でもあります。そんな果てしない道を、言葉や自然の壁を超えて国際交流し、無事に目的を成し遂げた玄奘の生き方に、時代を超えメッセージ性があります。


第一会場での展示。
左端が「入涅槃幻想」

私は1999年の朝日新聞創刊120周年記念企画に「シルクロード 三蔵法師の道」プロジェクトを提案し、採用されました。地震やオウム事件などで混迷の20世紀末にあって、玄奘をキーマンにアジアの世紀といわれる21世紀への指針を探ろうという趣旨でした。学術調査や国際シンポなど多面展開の柱は展覧会で、玄奘の時代や足跡の文化財や出土品をウズベキスタンなど6カ国から集め展示しました。

この企画推進にあたって指導をいただいたのが平山画伯でした。被爆体験を持つ画伯は「平和を祈る絵を描きたい」と願うようになり、着想したのが、玄奘の求法の旅をイメージした「仏教伝来」で、それが評価され出世作になりました。それ以来、玄奘をいわば「命の恩人」だと言います。

画伯は「玄奘が歩かれたのが17年、お経を翻訳したのが20年、私も同じような時間をかけて追い続けてきました」と語っていたのが思い出されます。そして20世紀最後の大晦日に一筆を入れ、薬師寺の壁画を仕上げたのでした。

ウズベキスタンの美しい織物


「シルクロード芸術展」のチラシ

一方「シルクロード芸術特別展」には、2006年に設立されたウズベキスタン文化・芸術フォーラム基金駐日代表部の事務所開設記念事業として、2−3世紀から伝わる絹織物など約60点が展示されています。

その開会の記念式典とレセプションが、オチロフ駐日ウズベキスタン大使ら関係者が参列して10月4日に行われました。来賓として元ウズベキスタン駐在大使の中山恭子・内閣総理大臣補佐官や薬師寺の安田管主とともに加藤九祚・国立民族学博物館名誉教授も来席されていました。

加藤さんは86歳の現在も春と秋にウズベキスタンに赴き仏教遺跡の発掘を続けています。2002年には加藤さんの要請で、発掘成果の展覧会「ウズベキスタン考古学新発見展 加藤九祚のシルクロード」を東京・奈良・福岡の三都市で開催するに当たってお手伝いしたこともありました。


駐日ウズベキスタン大使らが
出席してのテープカット

加藤さんの奥さんの定子さんも学者で、今回の展覧会の内容を知らせるチラシなどの解説を手がけていました。展示品で注目されるのものに「スザニ」(ペルシャ語で針の意味)と呼ばれる装飾刺繍の布があいます。星や月、太陽、草花、ザクロなどの文様に人々の祈りや願いが縫い込まれていると説明されています。

重ねた寝具の覆いや壁掛け、祈祷用の敷物、花嫁用のベッド゙シーツなどに用いられたとか。大きな物は数人で分担して刺繍したそうで、古い物は海外へ持ち出しが禁止されていると聞いたことがあります。


所狭しと展示された芸術品

「イカット」と名づけられた織物は経糸に絹、緯糸に綿を用いています。鮮やかな色彩で星や流れる雲を表現した絣模様で、かつては君主一族のみに着用が許されたといいます。会場で話を伺うと、定子さんは中央アジアでは「アドラス」と言った方が適切です、と強調されていました。

このほか宮廷の直営工房で制作されたと言う金糸刺繍が展示されています。皮や厚紙を芯に金糸を刺しこんで描いた立体的な植物や幾何学文様を袖や襟、裾にあしらったと言います。もちろん王・貴族や功績のあった臣下が用いたと思われます。


美しい文様が刺繍された
「スザニ」

ウズベキスタンと言えば、私は1997年以来5回も訪ねている国です。行く度に街並みや空港、観光施設が整備されているのには驚かされました。ソ連邦の崩壊で1991年に独立しましたが、国家として成立したのは4000年も前に遡ります。それだけに古都や遺跡、さらには文化財や工芸品などの遺産も豊富です。  

西のローマと並び称される「青の都」サマルカンドは世界遺産の地です。ライトアップされた夜のレギスタン広場では、モザイク細工された美しいタイルの壁面が映え、澄み切った暗黒の空に月と一等星がまたたき、まるで別世界に来た印象に、時を止めてほしいとさえ願ったほどです。

サマルカンドから車で4時間余のブハラ、そのブハラから5時間余でヒバにも足を延ばしましたが、シルクロードのオアシスにかつて栄えた中世都市が再び出現した感じでした。いずれも世界遺産に登録されています。


美術工芸品も展示

ウズベキスタンには中央アジアの半数を占める2700万人の人口を擁し、日本からの直行便もあり、とても親日的な国です。また、平山郁夫画伯の支援で文化研究のキャラバンサライ(隊商宿)施設もあります。

今回の「シルクロード芸術特別展」は日本における文化交流の一環で、シルクロードの終着地・奈良での開催に期待を寄せています。10月25日には会場でイランの演奏家プーリー・アナビアンさんのペルシャ古代楽器サントゥール演奏や民族品の直売などがあります。展覧会とも無料です。お問い合わせ先は(財)なら・シルクロード博記念国際交流財団(0742−27−2438)へ。

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけないことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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