戦争は日常のテーマ

2008年9月1日号

白鳥正夫


映画『戦場にかける橋』の舞台となり、
一大観光名所の旧泰緬鉄道の
クワイ河鉄橋

今年もヒロシマとナガサキでの原爆祈念の日、そして終戦記念日が過ぎ去りました。「平和ニッポン」では8月に限って、戦争のことを問い直す年中行事になってしまった感すらします。しかし21世紀に入ってもイラクやアフガニスタンでは戦争は日常なのです。今年5月に訪ねたタイで、7月には旧ユーゴスラビア連邦の各国を旅し、むしろ日本を離れた地で、戦争のことを考えさせられました。私自身に戦争体験はありませんが、新聞社時代の先輩の戦争体験の文章をまじえ、日常のテーマとしての「戦争」を考えてみました。

『戦場にかける橋』の舞台を見学

ミャンマーでの大型サイクロン被害が伝えられていた5月中旬、タイを訪ねました。かつてビルマと呼ばれたミャンマーと国境を接するカンチャナブリーまで出向き、映画『戦場にかける橋』の舞台を見学するのが目的です。カンチャナブリーはバンコクから北西へ約130キロ、ミャンマーとつながるクウェー川(クワイ川)に沿う町ですが、第二次世界大戦時、日本軍が大量の連合軍捕虜や強制連行のアジア人たちの過酷な労働によって1943年に完成させた泰緬鉄道の拠点となりました。


今も一部で運行している
旧泰緬鉄道に体験乗車

捕虜たちの労苦で出来た
木製の橋げた



当時、インド方面へ戦線を拡大しようとした日本軍と、それを阻止しようとする連合国軍との間で全長250メートルの鉄橋をめぐって死闘を繰り広げたのでした。イギリス人捕虜も協力し完成した橋がその直後に英国軍によって破壊される過程を描いたのがアカデミー作品賞を受賞した『戦場にかける橋』です。


粗末な竹で造った
JEATH戦争博物館は、
かつての捕虜収容所を再現していた

戦争の無意味さを描いた映画は、テーマ曲の「クワイ河マーチ」のメロディとともに強く印象に残っています。いつか現地に行ってみたいと思い続けていたのは、私の同僚だった記者が1980年、戦時中に日本陸軍の通訳だった永瀬隆さんと同行し「泰緬鉄道の旅」を岡山版に連載したのを読んだことにもよります。

泰緬鉄道の建設は、険しい地形と劣悪な労働環境、さらには戦局維持のため急を要したこともあり、4万5000人もの犠牲者を出したとされます。この悲惨な歴史を伝えるべく捕虜収容所を再現したJEATH戦争博物館があります。粗末な竹で造った小屋内には、日本軍の拷問を描いたスケッチなどが展示されていました。

このほか戦争の記憶をとどめる第二次世界大戦博物館や泰緬鉄道博物館もあり、捕虜として犠牲になった連合軍共同墓地と日本軍が建てた慰霊塔もありました。そして「死の鉄路」とさえ言われる泰緬鉄道は、現在もナム・トクまで80キロが運行されています。クワイ川に架かる鉄橋は歩いて渡ることも出来、観光客であふれていました。


日本軍が建てた慰霊塔

現在はサトウキビ畑などの田園風景を眺めながら2時間足らず体験乗車をしました。車中、JEATH戦争博物館で購入した日本語の「クワイ河の虜」(1996年、新風書房)のページをめくってみました。オーストラリア人のバンコク・ポスト紙記者が書いた本ですが、慰霊に訪れる元捕虜たちや供養の旅を続けていた永瀬さんらの証言を集め、史実を掘り起こしていました。

記者は「うっとりとするカンチャナブリーの自然に抱かれて、陶酔状態にひたったまま、静かに平和のなかで暮らしたいと願ったこともある。しかしいまは、死の鉄路の怒りを知ろうとする希求から、とうとうクワイ河の虜になってしまった。やることはまだ山ほど残っている」と、この本は締めくくっています。

深く重い言葉でした。いかに戦争時の行為とはいえ、日本国から十分な謝罪や補償もなく年老いてゆく元捕虜たちは、物見遊山の日本人観光客らを横目に「日本を許せない」と憎しみを募らせていると聞きます。私たち日本人にとって、忘れてはならない実相を知り、戦争の悲惨さを語り継ぐことの大切さを実感しました。

「アドリア海の真珠」にも内戦跡


アドリア海とオレンジ色の
屋根瓦が美しい
ドブロヴニクの風景

7月下旬にはかねて一度は訪ねたいと思っていました旧ユーゴスラビア連邦の4カ国を旅しました。「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成された1つの国」と表現される連邦は、幾度となく宗主国を変えてきました。第二次世界大戦後の長期間にわたって平和が続いたことは、チトー大統領のバランス感覚とカリスマ性によるところが大きいとも言われましたが、チトー死後、再び悲惨な内戦を繰り広げたのです。

今回の旅ではスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロの4ヵ国を回りました。主に各地の世界遺産の観光に当てられましたが、長く続いた内戦の痕跡がなお残っていました。ここでは「アドリア海の真珠」と称されるクロアチアのドブロヴニクと、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボを取り上げます。


城壁からみた内戦で
瓦礫となった建物跡

ドブロヴニクの起源は古く、ローマ帝国時代かそれ以前とされます。そもそもこの町は後背地であるボスニアやセルビアで産出される鉱石の積出港として栄え、その後も東西交易の中で重要な役割を果たした港町です。しかしアドリア海交易の不振と1667年の大地震により、衰退の道をたどったのでした。1815年以降、オーストリア帝国領ダルマチアの一部へ、そして1992年に成立したユーゴスラビア領となります。

8−16世紀に増改築を繰り返して建造された城壁で囲まれた旧市街は、オレンジ色の瓦屋根の家がひしめき、中世の面影を残す美しい街です。イギリスの劇作家バーナード・ショウは「地上の楽園を見たければ、ドブロヴニクにおいでなさい」と言わしめたほどです。


破壊され放置されたままの
ロープウェイ駅

いち早く1979年に世界遺産に登録されたのですが、1991年のクロアチア独立とともにクロアチア領となったことにより内戦が起こりユーゴスラビア連邦軍の攻撃を受け、多くの歴史的建造物が破壊されます。一時、世界遺産の危機遺産リストに名を連ねていましたが、復興が進み1998年に除外されたのでした。

現在では中欧有数の観光地として世界各地からの旅行者で賑わっています。私も昨秋、テレビの番組で紹介された街並みに魅せられたのでした。1泊2日の日程で観光しました。初日は旧市街の入口ピレ門から入ってすぐのフランシスコ修道院を見て、目抜き通りを歩きスポンザ宮殿や大聖堂などにも立ち寄りました。

そして再びピレ門脇から城壁に登りました。周囲1940メートルを約1時間かけて1周しました。遊歩道が整備されていてアドリア海と屋根瓦のすばらしい眺めを楽しめますが、随所で内戦の痕跡を見とどめました。目抜き通りからは想像もできない瓦礫のままの光景を目にしていると、平和と戦争の表裏に愕然としました。


第一次世界大戦の
きっかけとなった
サラエボの歴史的な石橋

2日目は旧市街を一望できる標高412メートルのスルジ山まで登山を試みました。かつてケーブルカーで山頂まで一気に上ることができたそうですが、連邦軍に破壊されてしまったとのことでした。山頂からのアドリア海と旧市街は絶景でしたが、ここでも破壊されたロープウェイ駅が放置されたままでした。この山頂から旧市街へ砲弾の雨が降ったとのことで、内戦のすさまじさに心が痛みました。

帰国日にボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボを訪ねました。サラエボと言えば、第一次世界大戦のきっかけとなった歴史的な場所です。1914年、この地を統治していたオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子がセルビア人青年に狙撃された事件現場で、石の橋のたもとに当時のことが記されていました。


銃痕が残る建物が散在する街

サラエボその後、1984年に冬季オリンピックが開催され、世界の脚光を浴びたのですが、その7年後の1991年に内戦へと突き進んだのでした。1996年に現地を訪れた平山郁夫画伯は大作『平和の祈り〜サラエボ戦跡〜』(佐川美術館蔵)を描き、画文集著しています。犠牲者は1万人を超えたそうで、街の多くの建物には銃痕が残り、戦争がそれほど遠い過去のものでないことを物語っていました。

日本では、負の世界遺産となった原爆ドームがあります。ヒロシマの爆心地のほぼ真下で原爆投下当時の無残な姿をさらしています。原爆ドームの碑の文言には「昭和20年8月6日 史上はじめての原子爆弾によって破壊された旧広島産業館の残骸である(中略)その1個の爆弾によって20万人をこえる人々の生命がうしなわれ(中略)この悲痛な事実を後世に伝え 人類の戒めとする」とあります。

朝日新聞広島支局で記者として働いていた私は、ドームの道路を隔て向かい合う広島商工会議所の記者クラブに席を置いていたため、毎日のようにドームを眺めていました。その後も年に何度かは訪れていますが、周囲の近代ビルの中で、戦争のリアリティが失われてゆくのは否めません。

「綺麗な夕焼けに見えた大空襲」


JR氷見線島尾駅の
プラットホーム
(以下、石崎勝義さん撮影)

戦後63年ともなると、戦争を知らない世代が次第に多くなるのは当然です。戦争が風化していく懸念が増す中、朝日新聞時代の先輩が郷土誌の『富山県人』8月号に寄稿した一文「富山大空襲目撃話」を引用さていただきます。

それは実に綺麗な夕焼けだった。 高岡、富山方面の空が真っ赤に燃えているのだ。当時、高等女学生で5人兄弟姉妹の一番上の姉に抱かれながら、3歳9か月の私は、父母ら家族7人とともに、国鉄氷見線の島尾駅のプラットホームに立っていた。みんな何も言わずに、ただ、この鮮やかな綺麗な夕焼け空をじっと見つめているのである。線路は左側に湾曲しており、月の光で光っているかにも見えた。(中略)
「ブーン」という空からの音が聞こえたようだ。うえから4番目、次男の私は、女学生だった長姉に抱かれて防空壕から外に出てみると、真暗な空に一筋、二筋と光線が走った。島尾海岸に設置された軍の探照燈(サーチライト)だ。B29の編隊がまた来たらしい。 やがて午前零時を回った。2日になり、午前2時ごろだろうか。B29も高岡付近の上空を通り過ぎたと見え、空襲警報は解除。そしてなぜか家族全員が防空壕から出て、鉄道官舎そばの駅のプラットホームに立ったのだった。東南の空が夕焼けのように赤々と燃えていた。


島尾海岸の島尾海浜公園にある
無縁仏像

富山市の大半が焼き払われ、2775人の無辜の市民が無残に焼き殺された富山空襲の幼児体験を綴った文章です。後日、現場を再訪した筆者は、大空襲から数日して、この島尾海岸に何百体もの死体が流れ着いたといいます。1975年に現地に供養仏像が建立されていたそうで、ここにも佇んだそうです。

寄稿文は、「戦争は決して綺麗な夕焼けではなかったのだ」と結ばれていました。こうした体験を語り継ぐことにこそ、戦争の風化を防ぐ日常のテーマではないでしょうか。

 

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけないことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
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