『星の王子さま』の世界

2008年8月10日号

白鳥正夫


「星の王子さまミュージアム」の
入口にあるB612スタチュー

世界的なベストセラー『ハリー・ポッター』シリーズに勝るとも劣らない作品が『星の王子さま』でしょう。何しろ160ヵ国以上で翻訳出版され、その数は限りなく1億冊に近づいているのですから。それぞれイギリスとフランスから発信された児童文学ですが、ともに大人にも広く読まれているのが共通点です。世紀のロングセラーとなった『星の王子さま』の1節には「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」(内藤濯訳、岩波書店)といったように、書かれた内容は奥が深いのです。その作品タイトルを冠したミュージアムが箱根にあります。前回の「万華鏡ミュージアム」に続き、大人になっても多くの人に愛されている『星の王子さま』の魅力をお伝えしましょう。

不朽の名作に花を添えた名訳

不朽の名作をまだ読んだことのない読者のために、あらすじを紹介しておきます。サハラ砂漠に不時着した飛行士の前に、不思議な少年が現れます。故障した飛行機を修理できなければ、1週間と命が持たない極限状態の飛行士に「ヒツジの絵を描いてほしい」と話しかけてきます。少年の話では、バラの花との諍いから小惑星を離れ、いくつもの星を巡った後に地球に辿りついたのです。飛行士も次第に王子さまの言葉に耳を傾けます。やがて別離を迎えますが、二人の会話に多くの人生の示唆が散りばめられています。



中庭に広がるフランス庭園。
背後は著者が幼少時代を過ごしたサン=モーリス・ド・レマンス城と
展示室に再現された城内の部屋

この作品を書いたのがサン=テグジュペリ(1900−1944)というフランスの作家ですが、飛行士でもあり、郵便輸送のためのパイロットとして、欧州−南米間の飛行航路開拓などにも携わっています。さらに従軍し、偵察隊などを経て、1944年の第二次世界大戦末期に飛行機でドイツ軍を偵察中に、地中海上空で消息を絶ったのです。


20世紀で通称地理学者通り。
建物や壁に
作者ゆかりの人の名前も

20歳前後から、航空機に並々ならぬ情熱を持ち始め、何度となく一命を危うくしています。こうした実体験を踏まえ、1928年に『南方郵便機』、1931年に『夜間飛行』を著しています。実際に砂漠にも不時着していて、『星の王子さま』の着想につながったようです。

『星の王子さま』は遺作となりました。作者自身の彩筆による多くの挿絵を付けてパリで出版された時のタイトルは『ル・プティ・プランス』(小さな王子さま)でした。が、故内藤濯(あろう)さんが邦訳の際に『星の王子さま』と名訳し、この童話にロマンチックなイメージを与え、いっそう普及させることになったのです。


1930年代の
パリの街並みをイメージした
飛行士通り

銀座の松屋で昨年4月、「星の王子さま展」を見る機会がありました。『星の王子さま』のストーリーを追いながら、サン=テグジュペリの言葉とその素顔を明らかにし、作品の魅力を伝えるとともに、そこにこめられた数々の謎をひもとく内容でした。これまで失われていたものと思われていた世界初公開の原画をはじめ、作家自身によるデッサンや手紙なども展示されていました。

展覧会には、もちろん世界各国で翻訳された出版物が並べられていました。1943年にアメリカで初版本が出て以来、本国のフランスで1946年に、そして日本では1953年に岩波書店から内藤訳が出ています。


『星の王子さま』に出てくる
点燈夫のスタチュー

「日本における星の王子さま」コーナーも興味を引きました。内藤さんはフランス語のリズムを本能的に自分のものとし、そのリズムを生かす「美しい日本語」の発掘を自らの翻訳作法として位置づけて磨きをかけたエピソードなどが紹介されていました。

『星の王子さま』との出会いは偶然だったそうです。最初に依頼された文学者が内藤さんを推薦したことによるといいます。「言葉の音楽性」を重視した内藤さんは口述筆記させて、まさに「声に出して読むに耐える」話し言葉のリズムかあふれる名訳になったとされています。実に内藤さんが70歳の時の訳書でした。

箱根に初めてのテーマパーク

『星の王子さま』への興味を深めていた今春、私の10年来の友人から1通の案内書が届きました。なんと「星の王子さまミュージアム 箱根・サン=テグジュベリ」の総支配人に着任したとのことで、「ぜひお立ち寄りを」といった内容でした。同封されたパンフレットには「作品に込められた想いに触れ、子どものころに忘れてきたものを、ときどき探しに帰る場所として……」と、来館を呼びかけていました。


『南方郵便機』を執筆した
キャップ・ジュビーの基地舎室内

街頭や広告塔、実在するカフェ
「ドゥ・マゴ」が
雰囲気を盛り上げる
パリ・サン・ジェルマンの
街並みの再現

上京した6月初め、小田急箱根高速バスで仙石原のミュージアムへ出向きました。新宿から約2時間、ミュージアム前がバス停となっていました。このミュージアムは、サン=テグジュベリの生誕100周年を記念して1999年に、遺族のお墨付きもあって、世界で初めてオープンしたのです。現在はTBSが運営をしています。


『星の王子さま』の登場人物が
浮かび上がる幻想的な空間

王子さまをあしらったフラッグを道沿いに見ながら館内へ。メインゲート前に広場があり、王子さまの故郷であるB612番の小惑星スタチューが出迎えてくれます。そして門をくぐると、展示館ではなく、まるでテーマパークのような世界が開けているのです。

約9300平方メートルの敷地には、作家が幼少時代を過ごしたサン=モーリス・ド・レマンス城とフランス庭園が広がります。庭園でくつろぎながら花咲く小径を散策できます。さらに生まれ育った1900年代のリヨンの街並みが再現されています。

敷地内には教会やフランス料理が味わえるレストラン、ミュージアムショップも備えています。また随所に『星の王子さま』に登場する点燈夫や王さま、地理学者、実業屋などの像やオブジェがあります。


偵察飛行にでたまま
行方不明になるまでの
数々の写真を展示

さて肝心の展示ホールですが、サン=テグジュベリの子ども時代から最後の飛行で行方不明になるまでの軌跡を9つの展示コーナーと映像ホールでの画面で分かり易く紹介しています。子ども部屋の再現と数々の写真、原稿、母に宛てた手紙などを見ながら進みます。そして飛行士になってから、やがて大西洋の砂漠の中継基地で過ごした舎室内や郵便飛行士時代のオフィス、格納庫、郵便飛行機の機内のイメージを再現していました。

『人間の土地』を執筆したパリ時代は、波乱万丈の時代です。作家やジャーナリストとして、飛行家として世界を駆け巡った当時のパリ・サンジェルマンの街並みをイメージ再現し、パスポートのレプリカなども展示しています。空軍の出撃体験をもとに1941年に執筆された『戦う操縦士』のコーナーでは、着用していた軍用コートなども展示し、行動する作家の素顔を浮彫りにしています。

そして『星の王子さま』の登場です。執筆したニューヨークのアパートを再現し、原画や手書き原稿も並べられています。『ある人質への手紙』を出版後、亡命先のアメリカからフランスの飛行大隊に復帰し、未完となった『城砦』の執筆を再開し、消息を絶つまでを数々の写真で追跡しています。丹念に見れば1時間以上かかる展示の最終コーナーは、やはり各国で翻訳された『星の王子さま』の作品群でした。

生誕祭にちなんで朗読音楽会


展示の最終コーンs−に
並べられた世界のホンys区諸

ミュージアムでは毎年、サン=テグジュペリの生まれた6月29日をちなんで生誕祭記念イベントを実施しています。今年は6月21〜29日に催されました。とりわけ28・29日には朗読音楽会が予定されていました。たまたま大学のゼミの恩師の米寿を祝う会が新宿で開かれたこともあって、再び箱根へ足を延ばしたのです。

あいにくの雨でしたが、朗読音楽会が開かれた80人収容のホールは満席でした。この日は女優の内田淳子さんが、チェロとハープ、フルートの演奏をバックに内藤濯さん訳の『星の王子さま』を読んだのでした。まさに原著のリズムが名訳の美しい日本語となって蘇ったのでした。

夜になったら、星をながめておくれよ。ぼくんちは、とてもちっぽけだから、どこにぼくの星があるのか、きみにみせるわけにはいかないんだ。だけど、そのほうがいいよ。きみは、ぼくの星を、星のうちの、どれか一つだと思ってながめるからね。すると、きみは、どの星も、ながめるのがすきになるよ。星がみんな、きみの友だちになるわけさ。

飛行士と別れにあたっての王子さまの言葉です。この物語には、今の世に大人に童心を取り戻させ、いつまでも子どもごころを失わないことが、本当の大人であることを教えてくれています。


サン=テグジュベリの
誕生日にちなんで催された
朗読音楽会

冒頭に引用した「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ」と、キツネに語らせた文章は、目に見えるものを至上の価値としている時代の中に生きる現代人に問題提起となる言葉です。しかし物質的な豊かさを追求しても、必ずしも心の豊かさに直結しないことを自覚しはじめています。私たちは心の片隅で、砂漠で必要な水を求めるように、心をいやす何かを探しているのではないでしょうか。

『星の王子さま』の世界は、童話のかたちをとりながら、大人にも向けられたメッセージが大きな魅力となっているのです。

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

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無常のわかる年代の、あなたへ
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アートの舞台裏へ
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アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
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「大人の旅」心得帖
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定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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