市電を描いた故野村さんの絵が碑に

2004年4月5日号

白鳥正夫

 大阪に市電が走って100周年を迎えています。数々の記念イベントが実施されましたが、その一環として先月、大阪市西区九条南の大阪市交通局新庁舎三階のデッキ植栽内に一つの記念碑が完成しました。その記念碑に採用された絵は故野村廣太郎さんが描いた明治・大正期の大阪の町並みの一枚で市電の絵でした。現地は大阪ドームに隣接し、来月の連休明けには三階が陸橋でドームとつながり公開空地として開放されます。記念碑は陶板印刷製ですが、本画と同様の色合いで、古き良き大阪の面影を偲ぶことができます。
 大阪市電は明治36年(1903年)9月12日、全国に先駆けて九条花園橋西詰から築港桟橋の間で開通しました。野村さんの絵は九条側の起点付近を描いたもので、電車はしゃれた英国製でした。当時、二階付き市電は「魚つり電車」とか「夕涼み電車」と呼ばれ市民らに親しまれました。ここが都市交通の発祥になったのは、九条から先は田畑や灌漑地などで線路の敷設に適したことと、大阪港への導線になるためです。途中には市岡中学校前、田中町、八幡屋堤防といった停留所が設けられ、単線運行でした。しかし昭和43年に廃止されました。

野村廣太郎さんが描いた
大阪市電の絵
(築港九条線の
花園橋西詰停留所付近)
大阪市営交通100周年で
設けられた記念碑
(大阪市西区の大阪市交通局
新庁舎三階デッキ)



時代考証難しい色合い

 野村さんはプロの画家ではありませんでした。新日本セイハンの社長を長年務めた実業家です。明治37年、大阪市中央区唐物町に生まれ、幼いころから絵が好きで、大阪石版塾で洋画の勉強を始めています。大正13年に信濃橋に洋画研究所ができたので入門し、鍋井克之、小出楢重らの指導を受けました。同じ研究所から、田村孝之介、向井潤吉らも輩出しています。
 野村さんは大阪市展にも入選するほどの腕前で、当然画家をめざしたそうです。しかし掛け軸になる日本画と違って、洋画では飯が食えず絵の具の入手もままならなかったのです。そこで印刷会社に就職しました。無類の研究熱心さと独創的な工夫を重ね、次々と新しい技術を開発し業績を上げ、昭和31年には新日本セイハンを創設し独立しました。
 かつて水の都とうたわれた大阪では、長堀川が埋め立てられ、心斎橋や難波橋、桜橋などが一つまた一つ姿を消していきました。仕事で大阪の街を歩くうち、絵心をかきたてられたのでした。迷わず記憶にある大阪の風景を描こうと思い立ったのです。社業は順調に推移し後継者も育っていました。歌にナツメロがあるように、絵にも懐かしい昔の風景を描いたものがあってもいいではないか。古い街並みの姿を描き遺しておこうと考えたからです。

60歳過ぎて「男のロマン」

 「私はピカソでもマチスでもない」と、野村さんはひたすら写実的な記録絵画に徹しました。とはいえ昔の姿を忠実に再現するというのは至難なことです。ワンマンを貫いていた社長の野村さんは、業務以外の仕事として資料集めと写真撮影に二人のスタッフを申し付けるほどでした。古い写真を活用して再現に努めたものの、ほとんどがモノクロでした。色彩をどうするかに苦労したためです。
 野村さんは社長業を続けながら、土、日曜や平日の夜には画家に変身しました。スタッフは、野村さんが描き進めた絵の色合いを確認のため、元新聞記者や土地の古老を捜し出したそうです。力作の「大正初期の天神祭船渡御」では野村さん自身、大阪天満宮の宮司のもとに何度も足を運び、時代考証に基づいた色の復元に努めたといいます。
 天神祭船渡御のほか北浜の相場風景、ガス灯が川面に映える心斎橋……。詩情豊かな風景に加え、そこに暮らす人々の息づかいも数多く描きました。堂島の米相場を遠方に知らせた旗信号や、堂島川を行き来する蒸気船、肥後橋の人力車など明治・大正の街の姿が次々と再現されました。絵は当初、年に4、5点だったのが、多い年には20点ほどに増え、約20年がかりで「おおさか百景」や「なにわ百景」を完結していきました。
 60歳を過ぎて本格的に始めた「男のロマン」でしたが、喜寿を迎えても絵筆を握っていました。この間、銀行のロビーやギャラリーで何度か個展も開いています。郷愁を呼ぶ絵だけに、買いたいとの申し込みも数多く寄せられました。しかし野村さんは作品を一切売らず、主だった180点は大阪市立美術館に、その他も地元の豊中市をはじめ、大阪市立博物館、池田市などに寄贈しました。代表作の一つ「天神祭船渡御御乗船」は、1996年にオープンした上方演芸資料館(ワッハ上方)の演芸ホールにかけられた緞帳(どんちょう)に採用されました。
 野村さんの風景画をあしらったカレンダーを見留めた京阪百貨店の初代社長中西徹さんは「浪速情緒を思い起こさせる絵だ。ぜひ展覧会を開いて、若い人にも見せてあげたい」と、催事担当の部下に指示しました。「メジャーでなく、知る人のみ知るという作家の作品を取り上げる会場があってもいいではないか」。中西さんの美術における見識でした。

近代日本交通史第9巻の
「水の都と都市交通」
(三木理史著、成山堂書店刊)
の表紙にも取り上げられた
1997年に開催された展覧会で
テレビ取材を受ける
野村廣太郎さん
(守口市の京阪百貨店で)



後世に「文化」を伝える

 私は催事担当者から要請を受け、野村さんに関する資料を集めました。都市化と近代化の進む中で、味わいに満ちた大阪の街をいま一度、見る人の心象風景に宿していただこうと、展覧会企画を進めました。展覧会は所蔵先の大阪市立美術館の協力を得て、1997年春に「野村廣太郎のおおさか百景いまむかし」展(朝日新聞社主催)として開かれました。野村さんの描いた絵の舞台になった現在の姿を、朝日新聞写真部のベテラン記者が撮影し、「いまむかし」の移り変わりを対比する形で展示しました。大阪市教育委員会委員長を努めた郷土歴史学者の故伊勢戸佐一郎さんの丹念な解説も添えられました。
 展覧会が開かれた時、野村さんは93歳でした。足が弱っていたため、豊中の自宅に車を差し向け、会場では車椅子で見てもらいました。野村さんは久しぶりに自分の絵と再会。「天満青物市場の朝」の絵を見ていると、思わず「ねんねころいち天満の市よ」と、なにわの子守歌が独特の節回しで口をついていました。「体が不自由になってしもうたが、広い展覧会場で、たくさんの人に見てもらうことができ、長生きしてこんなによろこばしいことはない」と、涙ぐんでいました。野村さんはこの展覧会が開かれた翌年、1998年に他界されました。
 展覧会開催と同時に『おおさか百景いまむかし』(東方出版刊)が発刊され、普段は美術館の収蔵庫に眠っている作品が多くの人の目に触れるようになりました。昨年秋には近代日本交通史シリーズが発刊され、『水の都と都市交通』(三木理史著、成山堂書店刊)の表紙にも、野村さんの絵が取り上げられました。

 21世紀、大阪の街は近代都市のたたずまいを色濃くしています。実現しなかったもののオリンピックの誘致をめざして、スポーツ施設やホテル、道路などの基盤整備も進められました。この半世紀、歴史的な大阪の情景は過去のものになりつつあります。しかしいつの時代も真に住み良い街並みとは、その地域の歴史や文化、風土、そして何よりも人々のかかわりにおいて成り立つものです。
 野村さんが築き数多くの業績を残した会社は、その死後、大資本の翼下に入り解散、その敷地にはマンションが建っています。しかし情熱を傾けて描いた余業の絵画は美術館に現存しています。何事も浮沈の浮世にあって、後世に作品を遺せたことで、他の人の心に生き、多くのことを語りかけることが出来るのです。私は大阪市電の記念碑を前に、「文化」を伝える事の大切さを痛感しました。


しらとり・まさお
朝日新聞社大阪企画事業部企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から、現在に至る。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。


新刊
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたち平山郁夫画伯らの文化財保護活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者の「夢しごと」をつづったルポルタージュ。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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