東西の美「ヴィーナス展」と「薬師寺展」

2008年4月20日号

白鳥正夫


「ウルビーノのヴィーナス展」
の入口

一大アート拠点として注目され始めた六本木地区に負けてはならじと、本家の上野地区で西洋と東洋の「美の饗宴」ともいうべき二つの展覧会が開催中です。「ウルビーノのヴィーナス展」(5月18日まで、国立西洋美術館)と「国宝薬師寺展」(6月8日まで、東京国立博物館)です。その代表的な展示品であるイタリア・フィレンツェのウフィツィ美術館の傑作「ウルビーノのヴィーナス」(1538年頃)は日本初公開であり、薬師寺の「日光菩薩立像」と「月光菩薩立像」はともに国宝で初めて寺外でのペア展示の上、しかも寺内では見ることのできない背面も見ることができます。趣を異にするものの女神と仏像の美しさは奥が深いものです。いずれも一見に値する展覧会です。

ルネサンスで復活の女神たち

上野の森は、上京時には必ず立ち寄るアートのメッカです。今回は鑑賞前からテレビや新聞、雑誌などで触れ込みの二大展覧会を半日かけて見ようと胸躍る思いでした。まず「ヴィーナス展」は、「美の女神、大集結」との謳い文句通り、古代からルネサンス、そしてバロック初期に至る絵画、彫刻、工芸品など約80点が展示されていました。


「ウルビーノのヴィーナス」
(ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、ウフィツィ美術館)
(以下5枚の写真はPhoto:
Antonio Quattrone)


ヴィーナスをめぐる神話と絵画は、ヨーロッパの美術館で幾度と無く見聞してきましたが、この展覧会では古代の芸術家たちの想像力をいかに刺激し、そして文化再興のルネサンスにおいて、どのようにヴィーナスの図像が復活、発展したのかを体系的に捉えることができます。

文献などによると、ヴィーナスはそもそもギリシア神話の愛と美や豊饒の女神アフロディテを前身に、古代ローマで受け継がれ、数々の神話に他の神々とともに表現されたのでした。さらにヴィーナスは単独で、あるいはその息子キューピッドを伴って登場しています。しかしキリスト教にとっては異教の神なので、中世美術には見られなくなります。ところがルネサンスによって、その図像が本格的に復活することになったのです。


「ヴィーナス」
(ロレンツォ・ディ・クレーディ、
ウフィツィ美術館)

今回の展覧会には、古代とルネサンス以後の作品が比較展示され、ルネサンスの芸 術家たちが古代から何を学び、どのように表現を発展させたかを、見ることが出来るのが特徴です。とりわけ「メディチ家のアフロディテ」(ウフィツィ美術館の前1世現されていると言えます。その恥じらいのポーズに見とれてしまいます。

また「ヴィーナス」(50−79年、ナポリ国立考古学博物館)に目を引きました。ポンペイ近くのエルコラーノから出土された漆喰に彩色されたフラスコ画です。右手で持ち上げようとしているヴェールでわずかに覆われた上半身が透けてなまめかしく描かれています。古代にヴィーナスのカテゴリーで、こうした女性美を取り上げてきた芸術家の表現力にあらためて感嘆しました。

このほか会場では、ルネサンス以後の「ヴィーナス」の様々なポーズの姿態を描いた油彩が展示され、男性ならずともうっとりさせてくれます。豊満で立ち姿の「ヴィーナス」もあれば背後から描かれた「ヴィーナスとサテュロス、小サテュロス、プットー」「ヴィーナスとキューピット」などです。

「神か女か」「初のふたり旅」


「ヴィーナスとサテュロス、
小サテュロス、プットー」
(アンニバレ・カラッチ、
ウフィツィ美術館)

こうした「ヴィーナス」のオンパレードの中で、やはり光彩を放っているのがティツィアーノ・ヴェチェッリオの「ウルビーノのヴィーナス」といえます。この絵は、後にウルビーノ公なる人物の注文によることから、名づけられたようです。

裸で室内のベッドに横たわる女神を描いたこの作品には、古代の「ヴィーナス」の姿とは様変わりし、生身の女性が画家の前でポーズをとっているとしか私には見えませんでした。まさに「ヴィーナス」のルネサンスだったようです。それがゆえにゴヤの「裸のマハ」やマネの「オランピア」につながるヌード絵画の画期的な作品となったのです。

2004年4月にイタリアの旅でフィレンツェのウフィツィ美術館にも足を運びました。約1時間ほど並び2時間かけて鑑賞しました。その時、この名画も見ているのですが、「ヴィーナス誕生」や「春」を描いたサンドロ・ボッティチェッリの部屋や「受胎告知」のあるレオナルド・ダ・ヴィンチの部屋に時間を取られほぼ素通りしたことの無念さを思い起こしたのでした。


「ヴィーナスとキューピッド」
(ポントルモ=
本名ヤコポ・カルッチ、
ミケランジェロの下絵にもとづく、
アカデミア美術館)

あらためてこの名画を見ると、その官能美に惹きつけられます。艶かしい肌と柔らかな髪、そして何より見る者に向けられた魅惑的なまなざしは、絵画がこれほどまでにリアルな表現力を持つものなんだと実感させてくれます。この絵をめぐって宣伝チラシに「神か女か」とのキャッチフレーズがありましたが、たとえそのモデルが高級娼婦だとしても、この女性美に「神」の存在を感じても不思議ではないと思いました。

一方、「薬師寺展」の超目玉展示は、3メートル以上の「日光」と「月光」の両菩薩像です。これもチラシの粋な「初のふたり旅、春の東京」との宣伝文句が観客を誘います。1971年に日本橋・三越で「月光菩薩展」が薬師寺金堂復興祈願を記念して開催されています。この時は一日平均約1万人が入り、会場の7階から地上まで行列が出来たとのエピソードが残っています。


「フィオレンツァ」
(ジャンボローニャ、
ヴィラ・ペトライア)

薬師寺は天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願って680年に創建を発願しました。飛鳥の藤原京に伽藍を造営されますが、平城遷都にともない、718年に現在の西ノ京に移されました。 こうした由緒もあって創建当初から薬師如来の衆生済度を信仰し金堂には国宝の薬師如来像が本尊として安置されています。

今回の展覧会は平城遷都1300年を記念して、本尊の両脇侍である日光・月光菩薩立像がそろってお出ましとなったわけです。本来、金堂では三尊像とも光背を背負っており、背面はほとんど見えません。毎年春に営まれる花会式はじめ年中行事で何度も目にしていますが、博物館で光背を外した姿を見れることは格別です。

行き届いた展示と効果的な照明に、「さすが東京国立博物館」と驚嘆させるものがありました。正面からは鑑賞台を設置し、高い目線から見ることが出来、背後に回ると、背中の窪みと美しい身体の線、肩にかかる控えめの襞、滑らかな法衣の彫りは絶品でした。7−8世紀の作とされていますが、何度と無く焼失した薬師寺にあって、これほど美しい姿を今に伝えていることは奇跡的だと思えました。

威厳のある日本の女神も展示


「国宝薬師寺展」の入口

「月光菩薩立像」(左)と
「日光菩薩立像」
(C)飛鳥園

「月光菩薩立像」
の右斜背面
(C)飛鳥園

「薬師寺展」は国宝を冠していることもあって、「日光」と「月光」の両菩薩像以外にも名宝がそろっています。東院堂の本尊である国宝の「聖観音菩薩立像」は「日光」や「月光」よりひと回り小さく2メートル足らずですが、その均整のとれた姿は比肩に値します。

国宝「慈恩大師像」は室町時代の絹本着色です。慈恩大師の画像として現存最古とされていますが、なお鮮やかな色彩で確認できます。重文の経典、奈良時代の「大般若 巻第一」や、これらに関連して特別出品された重文「玄奘三蔵像」(奈良時代、東京国立博物館所蔵)も展示されています。いずれも私が朝日新聞時代に企画し1999年から翌年にかけて開催した「シルクロード 三蔵法師の道展」で借用した名品で、感慨深く拝見したのでした。

奈良時代の「吉祥天像」も国宝です。古代インド神話に登場する豊穣の女神とされていますが、仏教で福徳の神として信仰されてきました。麻布に着色されたものですが、唐代の女性像と類似しています。薬師寺の展示館でもしばしば見る機会がありましたが、博物館では至近距離からつぶさに鑑賞できます。

国宝の「八幡三神坐像」(平安時代)の「仲津姫命・僧形八幡神・神功皇后」や重要文化財の「板絵神像」(鎌倉時代)は、いずれも薬師寺の境内にある休ヶ岡八幡宮に由来するものですが、初めて目にしました。ここではふくよかな中に威厳のある日本古来の女神が表現されていて興味深いものでした。

このほか国宝の「仏足石」、「東塔水煙」「獣身鬼瓦」「三彩多嘴壷」なども出品され、画期的な展示内容になっています。

この展覧会に合わせ、薬師寺では五反田の東京別院で「もうひとつの薬師寺展」を同じく6月8日まで開催中です。こちらの方も国宝の「東塔天井画」(奈良時代)をはじめ重文の「大津皇子坐像」(鎌倉時代)や「11面観音菩薩立像」(平安時代)、「地蔵菩薩立像」(鎌倉時代)などすべて国・県・市の指定文化財を公開中です。


「慈恩大師像」

「吉祥天像」

「八幡三神坐像 仲津姫命」

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

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内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
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発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
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