再会したムンク作品、新しい視点で

2008年2月20日号

白鳥正夫


オスロ市立ムンク美術館の
正面玄関

名画との出合いは様々です。人と人との出会いと同じで、久しぶりに再会すれば懐かしく心もなごみます。まして海を越えての再会ともなれば一入です。3月30日まで兵庫県立美術館で開催中の「ムンク展」には、12年前にノルウェーのオスロ市ムンク美術館で鑑賞した作品が数多く出品されていて感慨深いものがありました。現地での思い出を織り交ぜながら、ムンクの装飾プロジェクトに注目した今回の展覧会を紹介します。

北欧の気象が投影した深い作品


ムンクについて解説する学芸員(右)

残暑厳しい日本を離れ約14時間かけ北欧ノルウェーのオスロ空港に降り立ったのは1996年9月でした。白夜の国だけあって、到着後3時間経った午後9時半過ぎになっても空は明るいのです。時差は7時間で、日本では深夜のはずですが、一向に眠くならず、街を散策しました。そして海辺では、一人の画家が目にした光景に思いを馳せていたのでした。

エドヴァルト・ムンク(1863−1944)は、81歳まで長生きし、膨大な作品を遺しています。1993年に大阪の出光美術館(現在は閉鎖)の「ムンク展」で、「叫び」や「不安」「マドンナ」などの代表作を見ていただけに、人間の魂を揺さぶる画家の生まれ育った土地で、ムンクの作品を鑑賞することがこの旅の楽しみの一つでした。

生誕百年を記念して開館したオスロ市立ムンク美術館は市内東部の植物や地質学博物館などと隣接する広い緑地にあり、モダンな外観でした。ムンクの遺志を受け油彩画1000点を含む水彩、素描。版画など2万点を超す寄贈を受け所蔵していました。


「門型」に配置した展示構成

何といっても「叫び」に釘づけとなりました。ムンクは日記の中で「陽が沈むとき、空が血のように赤く染まり、青黒いフィヨルドと町の上に血のような雲が垂れかかった。私は恐怖におののいて、立ちすくんだ。そして大きく果てしない叫びが自然をつんざくのを感じた」と書いています。

海に突き出した桟橋にたたずみ、両手で耳を塞ぎ、大きく口を開け何かを叫んでいる奇妙な人物のモデルはムンク自身であり、北欧特有の暗く寒く長い冬が作品に投影されたようです。この作品を見ていると、こちらまで不安な気持ちになる重く、深く強烈な印象を与える作品です。

「叫び」といえば、1994年にオスロの国立美術館から盗まれ、2ヵ月後に発見されています。ムンク美術館でも2004年8月に別の「叫び」が盗難に遭ったのでした。その被害にあった「叫び」は、現地で鑑賞していたこともあり、ことのほか心が傷みました。こちらも2年後に回収された報道があり、ほっとしたのでした。


「不安」(1894年)

以下6枚の写真は、いずれもオスロ市立ムンク美術館 
(C) Munch Museum, Oslo

一方、ムンクは早くカメラを入手するなど進取の気性にも富んでいました。案内していただいた学芸員は「ムンクは自身の裸体も含め、写真をよく撮りました。露出時間を長くしたり、反転させたり、写真に触発されて様々な解釈を絵で試みています」と、興味深い説明をしていました。

この旅では、画家のムンクをはじめ、彫刻家ヴィーゲラン、劇作家イプセン、作曲家グリークら同時代に生き、交友のあった異分野の芸術家の足跡もたどり、現代に引き継がれるノルウェーの芸術活動を見聞する機会となりました。

装飾プロジェクトごとに展示

兵庫県立美術館での展覧会には、残念ながら「叫び」は出品されていませんが、「不安」や「絶望」、「生命のダンス」「マドンナ」などの代表作が展示されています。いずれもムンク美術館で鑑賞した作品です。ただ今回の展覧会はオスロから数多くの作品が出品されていることにとどまらず、ムンクの手がけた装飾プロジェクトという観点から取り上げているのが特色です。


「生命のダンス」(1925-29年)

展示構成は、その装飾プロジェクトにごとに7つの章に分けられています。印象に残ったコーナーについて、取り上げてみます。

まず第1章は、「生命のフリーズ 装飾への道」です。ムンクは、自らのもっとも中心的な作品群を連作と見なし、アトリエの壁に掛け、どのように組み合わせ、どのような順序で配置するか、試行錯誤を重ねていたのでした。まさにこうした姿勢が「装飾画家」への道のスタートになったのです。

「私は、それらの絵を並べてみて、数点のものが内容の点で連関があるのを感じた。それらのものだけを一緒に並べるとある響きがこだまし、一枚ごとに見たときとは全然異なるものとなった。それは一つの交響曲になったのである」(ムンク美術館に残されている未発表資料より、図録から引用)


「赤と白」(1894年)

「赤い蔦」(1898年-1900年)

ムンク自身の言葉にあるように、個々の作品を鑑賞するともに、全体で一つの作品として見る鑑賞の妙味を伝えているのです。それはあたかも絵画による交響曲となり、作者にとっても時に作曲家として、時に指揮者としての醍醐味だと、強調しているのです。

自ら装飾展示をしたアトリエの写真などが残されています。特に特徴的なのは作品の一部で扉を飾る「門型」に配置している点です。 会場ではその一部を再現しています。その中心となっているのが、「叫び」と「不安」、「絶望」の3部作です。

「不安」(1894年)の油彩は別途展示されていますが、「叫び」や「絶望」と同じく、血のような赤い雲が流れるような光景の下に描かれています。まっすぐ前方を見つめる人間の列が連なり、顔は蒼白でさまよえる死者の行列を感じさせます。ムンク特有の生と死のはざ間にいる人間の不安な情景を巧みな構図の中に捉えているのです。

一方、「生命のダンス」(1925−29年)は、満月の光線が不自然に海面を貫く浜辺で踊る男女の姿を描いていますが、じっくり見ていると、その表情や色彩に、ムンクの考え抜いた構図が浮き彫りになってきます。


「声/夏の夜」(1893年)

「マドンナ」(1895年)

画面左端の白いドレスの女性は、男性と抱き合うダンスには関心が無く足元の花を摘もうとする純潔な姿を表現しています。真ん中の赤いドレスの女性は、男性と手を握り、見つめ合っている成熟した姿に描かれています。その右端の黒いドレスの女性は憂鬱そうな顔をしてダンスの輪から遠ざかっています。まさに純潔から成熟、やがて幻滅へ女性の心の変遷を象徴させているようです。

このほか第1章では、女性の二面性を象徴させる赤いドレスと白いドレスを身につけた「赤と白」(1894年)、北欧の風景に溶け込んだ不安を駆り立てる「赤い蔦」(1898−1900年)、さらには神秘的で性的な「マドンナ」(1895年)など、思索性に富ん作品が出品されています。

「生命」から「労働者」をテーマに

自分のアトリエまでも展示にこだわったムンクの装飾性は、第2章以降の展示構成となるアクセル・ハイベルク邸やマックス・リンデ邸といった個人住宅、あるいは、ベルリン小劇場、オスロ大学講堂、フレイア・チョコレート工場、オスロ市庁舎などの公的建築における様々なプロジェクトへと受け継がれていったのです。

第3章は「リンデ・フリーズ マックス・リンデ邸の装飾」です。図録などによると、ドイツ人の眼科医マックス・リンデは、1904年に自邸の子供部屋を飾る装飾パネルをムンクに依頼します。ムンクは「生命のフリーズ」を壁画にしたものとして構想し、制作したのでした。しかし、「公園で愛を交わす男女」などの作品も含まれていたため、その主題が子供にはふさわしくないとして、リンデからは受け取りを拒否されてしまったそうです。こうしたムンクの非妥協性を示すエピソードがのこされているから、後世になって興味深く鑑賞できるのだと思いました。


「リンデ・フリーズ」の
展示コーナー

第5章は「オーラ オスロ大学講堂の壁画」のコーナーです。オスロ大学の講堂の壁画「オーラ」は、ムンクが完成させた最も壮大な装飾プロジェクトです。1909年から7年かけて取り組んでいます。中核となった主題は、「太陽」「歴史」「アルマ・マーテル」など、象徴的、寓意的なものです。

壁面に埋め込まれたモニターテレビによって、オスロ大の壁画の様子が理解できる展示になっています。会場にはその元絵となった「太陽」(1912年)も出品されています。エネルギーと生命の源として太陽を讃える大胆な構図で、迫力ある作品です。「不安」などとは異質の世界のようです。

最後の「第7章 労働者フリーズ オスロ市庁舎のための壁画プロジェクト」は、「生命のフリーズ」とは異なる新たなテーマとして目を向けたのでした。1910年前後から、労働者たちの姿を主題としたのです。その構想は1920年代後半から、当時建設計画のあったオスロ市庁舎の装飾壁画として完成させるプランへと発展したのでした。


「オスロ大学講堂の壁画」の
展示コーナー


オスロ市庁舎のための
壁画プロジェクト

この章では、このフリーズの中核となる初期の作品や、市庁舎壁画の構想を描いた素描などを展示されています。労働者への共感と建設への使命を感じさせる力強い作品です。「雪の中の労働者たち」(1910年)は223×162センチメートルもの大作で、国立西洋美術館の寄託品です。

「今や労働者の時代だ。芸術は再び万人の所有財産となり、公的な建物の大きな壁画のために制作されるようになるだろう」(図録より)と、ムンクは意気込んでいましたが、市庁舎の建設は遅れたのです。実際に本格的な工事が始まったのは1933年で、ムンクは70歳を超えていました。

今回の展覧会は、ムンク作品を新たな視点で鑑賞できる展覧会でした。久しぶりにムンクの作品を堪能しながら、再びノルウェーの旅を振り返りました。ムンクが頭角を現した同時期に、ヴィーゲラン、イプセン、グリークらの傑出した芸術家を生んだのでした。ノルウェーは、1380年から1814年まで400年以上もデンマークの統治下にあったのです。その後もスウェーデンとの連合を経て、19世紀後半は、自立への道をたどる国を建て直していこうとする気概が渦巻いていたのではないでしょうか。

 

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

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