大阪らしい街への取り組み

2008年1月5日号

白鳥正夫


天神橋商店街連合会長の
土居年樹さん

「皮の財布もベルトも、すべて500円」「ジーンズもかばんも店にある物は、どれでも500円ですよ」――。威勢のいい声が通りに響きます。昨年暮れ、日本一長いと言う天神天満商店街を歩きました。郊外の大規模ショッピングセンターに押され、いま全国的に商店街が不振の中、天神橋の賑わいは驚きです。2006年秋にオープンした寄席の「繁昌亭」も大きく貢献をしています。この元気な商店街の推進役に活性化への話を聞いてみました。一方、失われた街並みを地図の上に復元した「堀江戦前住宅地図」がこのほど出来上がりました。大阪らしさが失われる時代に、あらためて、私たちの住む街のあり方を考えてみたいと思います。

「繁昌亭」の誕生で集客に効果


天神橋三丁目商店街
アーケードの
「あきんど人形」

府下に住む私は、都心部の商店街に行くとしてもキタの梅田駅周辺の地下か、ミナミの心斎橋に限られていました。ところがある会合で、天神橋商店連合会長の土居年樹さんの話を聞いたのをきっかけに、天神橋筋に興味を持ったのです。2006年秋にオープンし、いまや大阪名所に数えられる上方落語の定席「天満天神繁昌亭」の誕生秘話を紹介した上で、土居さんは「キタやミナミに無い大阪らしい文化の息づく商店街づくり進めています」と力説されたのでした。

年の瀬の午後、ぶらりと出向いてみました。地下鉄扇町を降りれば、すぐ南北に商店が連なります。三丁目のアーケードの入口には大きな「あきんど人形」が目に飛び込んできます。雑貨屋があれば野菜・果物店、呉服屋、理容店、居酒屋、古本屋など雑多な店が軒を連ねます。週日にもかかわらず、呼び込みの声が飛び交い、活気が伝わってきました。店の看板や陳列にも工夫が凝らされ、百貨店や大型店にない味わいがあります。

天神橋三丁目から二丁目へ移ると、名高い大阪天満宮があります。その北門の傍らに「繁昌亭」がありました。入口付近では多くの人が次回の寄席待ちをしています。この「繁昌亭」の建物上部には建設費用を寄付した人や店の名前を書いた数多くのちょうちんがぶら下がっています。定席誕生には、土居さんたち街あきんどたちが「天満を再び大阪の顔にしたい」との悲願が込められていたのです。


「天満天神繁昌亭」の
こけら落とし


春団治師匠を乗せた
赤い人力車を引く
上方落語協会・桂三枝会長

天神橋筋は、文字通り大阪天満宮の門前町として平安期から栄え、江戸時代には天満宮に加え天満青物市場もあって賑わいをみせます。明治時代には芝居小屋が8軒も出来、その1軒が現在の吉本興業の劇場だったそうです。そうした歴史の縁もあって、上方落語協会会長の桂三枝師匠から土居さんに「吉本発祥の地でもある天神で落語をやれませんか」と、協力要請があったといいます。

「かつての賑わいを取り戻したい」との思いの土居さんらが快諾し、立ち上がったのです。大阪天満宮に相談すると、駐車場だった土地を無料で貸与しようと英断で勇気付けられました。そこで今度は建設費1億円の捻出です。目標は一人1万円。土居さんたち街あきんどは、商売そっちのけで寄付集めに奔走したのです。三枝師匠も伴い地元の企業にも足を運びました。その甲斐あって寄付は予定額の二倍の2億円を超したそうです。

こけら落としには、人力車に桂春団治師匠が乗り、三枝師匠が車夫となり天神橋筋を練り歩いたのです。「繁昌亭」は全国から月一万人以上の入場者で盛況。当然ながら商店街の人出も平日で7パーセント、休日で40パーセントも増加。それに伴い、売り上げも順調に増えているそうです。土居さんは「上方落語の発展に寄与できるだけでなく、街に活気が戻ってきました」と、喜んでいます。

商店街から文化を発信する試み


天満天神繁昌亭
オープン記念で
商店街のお練り


天神祭
天神橋三丁目青年部のみこし

勢ぞろいの天神天満花娘

地方都市に行くと、駅頭に商店街がありますが、ほとんどの店のシャッターが下りている光景が目立ってきました。かつて商店は、駅前を中心に点から線、そして面へと広がりを見せてきたのですが、現在では逆の方向へ様変わりしています。郊外に駐車場を備えた大型ショッピングセンターが立地し、買い物客の流れが一変したのです。目下、全国の97パーセンの商店街が衰退の傾向と言われるほどです。

こうした中で、天神橋筋商店街は歴史と伝統に胡坐をかくことなく、常に新しい試みを取り入れてきたのです。天神橋から長柄橋まで南北に2.6キロ、一〜六丁目までありますが、戦前は三丁目までが栄えていましたが、次第に四〜六丁目が主流になりました。このため1970年代に入って三丁目商店街の若者たちが一念発起し、活性化への取り組みを始めたのです。

そのリーダーに土居さんがいました。土居さんは長年、三丁目で陶器店を営んでいます。土居さんの名刺には、「日本の観光カリスマ百選認定 天神橋筋の街商人」とあります。復権ドラマの第一幕は、日本の商店街初の「天三カルチャーセンター」の開設でした。オープニングイベントは、近所の住民の赤ちゃん写真展と育児相談やサロンコンサート、手作りのガラス細工工芸展などでした。マスコミ報道が後押しになり大成功したのです。


修学旅行生の
「一日丁稚体験」による
地元特産品販売

カルチャセンターは1996年に閉館しますが、青空結婚式やバロック音楽の演奏、紙芝居、ファッションショーや寄席、お化け屋敷など、さまざまなイベントを展開し集客を図ったのです。それ以降、「商店街から文化の発信」が基調となったようです。「ソフトの次はハードの充実を」と、アーケードの改築や、1丁目でも「ゆうゆうホール」という文化施設を開設したのでした。

日本三大祭の天神祭のほか星愛七夕まつりの開催をはじめ、戎市、全国梅酒の品評会などの行事で盛り上げます。さらには天満みやげのオリジナル品販売や、天満ガイドブックなども作成しています。この間、NHKの「ゆく年くる年」や「千客万来」などの番組で実況中継されるなど、常に話題を提供し、街ぐるみの活性化へ取り組んできたのです。

中でも1999年に富山県の庄川中学校の修学旅行生らを迎え入れてスタートした「一日丁稚体験」は、すっかり恒例化し定着しました。2007年には中学校と高校から40校が参加し、約2500人が体験しています。生徒らは、たこ焼き屋やお好み焼き屋にも入門したり、屋台も出し郷土の特産品を売るなど懸命な取り組みです。学生らは大阪弁や商人の心得、接客術を学べることから好評だといいます。


関西大学社会学部
有志による
街案内ボランティア。
 (以上、9枚の写真は
天神橋三丁目商店街
振興組合提供

「繁昌亭」を起爆剤に飛躍を図る天神橋商店街には、数々のドラマがあったのです。仕掛け人の土居さんは、街商人の3か条について「人情、信条、繁盛」を取り上げています。その心意気について著書『天神さんの商店街』(東方出版)で「今、求められているのは心と心のつながる社会であり、これからは人間回帰の街が必要になってくる。街商人の社会に果たす役割は大きい」と書かれています。

3年がかりで堀江戦前住宅地図

一方、特定非営利活動法人「なにわ堀江1500」では、『なつかしの昭和 堀江戦前住宅地図』(新風書房)を完成し、出版しました。 かつて堀江地区は水都を象徴する水路に囲まれた地域でしたが、長堀川、西横堀川、堀江川は埋め立てられ南の道頓堀川と西の木津川を残すのみとなっています。その生業の姿を後世に伝えておこうと取り組んだのです。


平日午後でも買い物客でにぎわう天神橋筋商店街

公的な記録が焼失してしまった街の復元は、当時をしる古老たちの記憶にたよるしかないのです。復元地図は、平均年齢80歳の高齢者と若いボランティアが協力し合って、足掛け3年の歳月をかけ作成した苦心作です。

「なにわ堀江1500」には、「嬉しくなって、亡き両親のお墓に、早速見せてきました…」「この夏、亡くなった叔母の49日に、親戚の方々に配りたいので、さらに5部を」「一人東京の老人ホームで、毎夜眺めながら、思い出に浸っております」といった反響が、連日のように寄せられているそうです。一部1000円で販売したのですが、初版の千部はまたたく間に売り切れたそうです。

代表の水知悠之介さんは「都市住民の中に、新たなアイデンティティが生まれ、新旧の堀江の出身者を通じ、広く地域に根ざした交流が生まれることが出来れば、大きな喜びです」と話しています。
なお復元地図の問い合わせ先は、「なにわ堀江1500」で、TEL・FAXとも06−6533−1550です。 


復元された
「堀江戦前住宅地図」

*       *

街は時代とともに変貌するのはやむをえないにしても、豊臣秀吉の城下町として栄え、水の都といわれた大阪。川や橋をめぐって執り行われる様々な年中行事や風習が息づいていました。東京とは異なり、庶民の生気があふれた街の表情は、いますっかり様相を変えてしまいました。 大阪の街並みを大きく変えたのは1970年の大阪万国博といえます。道路や鉄道網は一気に整備され、ホテルなどの高層ビルが次々と建てられました。その後も都市化が着実に進み、都心部はガラスとコンクリートと、そしてメタリックカラーの近代都市に変身しました。街は機能と効率化が重視され、美しく整備された反面、庶民の祭りや生活と直結した多様で味わいに満ちた表情を失い、色褪せたものになってしまいました。


駐車場を備えた
郊外のショッピングセンター(神戸三田のプレミアムアウトレット)

今後も都市の高層化が進むことでしょう。そして若い世代が増え、歴史的な大阪の情景は過去のものになりつつあります。しかしいつの時代も真に住み良い街並みとは、その地域の歴史や文化、風土、そして何より人々のかかわりにおいて成り立つものです。

今回取り上げた天神橋筋商店街や「なにわ堀江1500」の取り組みは「大阪の街に色合いを」「街は人々のためにある」といった、住人たちの心意気を感じさせてくれるものです。

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 名画を決めるのはあなた
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第二章 美術から知る世界
第三章 時代を超えた作品の魅力
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第七章 アートの舞台裏と周辺
第八章 これからの美術館

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アートの舞台裏へ
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定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
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