多様化するアートの世界

2007年12月20日号

白鳥正夫


「ゲルニカ」展示の
ソフィア王妃芸術センターの入口

「偽装」事件に揺れた今年の締めくくりに、ピカソの代表作「ゲルニカ」(1937年)の本物をスペインで見てきました。「ゲルニカ」ては、私が関わった「ピカソ展」(1995年)でのテーマだったこともあり感慨深く拝見しました。さて今年最後のエッセイとして、「ゲルニカ」鑑賞にとどまらず「格差社会」さながらの今年の展覧会の回顧や、美術館の今後なども絡め「多様化するアートの世界」を概観してみたいと考えます。

ピカソの「ゲルニカ」現地鑑賞

まず「ゲルニカ」をめぐっては、朝日新聞企画部時代に思い出があります。

朝日新聞社が戦後50年企画の目玉として、実物を借用し展示したいという悲願がありました。しかしスペイン政府の持ち出し許可が得られず、「ピカソ 愛と苦悩―《ゲルニカ》への道」展として、「ゲルニカ」の制作に至ったピカソの多くの作品を展示するとともに、米ポロライド社の特殊撮影での実写による原寸大のレプリカ(複製)を制作して、展示したのでした。


ピカソの大作「ゲルニカ」

東京本社で企画したのですが、最初の会場が京都国立近代美術館だったため広報や記念講演会など展覧会の裏方として苦労しました。監修にあたった神吉敬三・上智大学教授は故人となられましたが、開催準備の段階でこの作品の真意を勉強する機会が与えられました。

スペイン内戦さなかの1937年4月、フランコ将軍が率いる反乱軍を支援したドイツ・ナチス軍はバスク地方の古都ゲルニカを無差別爆撃しました。容赦なく爆弾の雨を降らせ、無防備な多数の市民の命を奪ったのでした。


長蛇の列が続くプラド美術館

滞在中のパリでこの報を聞いたピカソは、かねて人民戦線政府より依頼されていたパリ万国博覧会スペイン館の壁画として、急きょ「ゲルニカ」を主題にこの作品に取り組んだのです。

死んだわが子を抱いて泣き叫ぶ母親、苦痛に歯をむきだしておののく馬、槍を突き刺されて倒れた兵士……全体を黒と白、灰色という暗い色調で描き、暴力の不条理を暴き、その非道に怒りをぶつけたのでした。全体の構成はキリストの磔刑図をイメージさせます。その構図については、ピカソが好んで描いてきた闘牛やミノタウロスの神話などとの関連も指摘されています。

スペイン内戦はフランコ将軍の勝利により終結。この絵はロンドンなどを巡回したのちにヨーロッパの戦火を避け、1939年、米国に渡りニューヨーク近代美術館に預けられました。第二次世界大戦後もフランコ将軍の政権下にあったスペイン政府はこの絵の返還を求めますが、ピカソは「スペインに自由が戻るまでこの絵を戻すことはない」と拒否しました。


全国から美術ファンが押しかけた
「若冲展」
(京都の相国寺承天閣美術館)

ピカソは1973年に他界し、その2年後にフランコ将軍も没しました。政治体制の代わったスペインとニューヨーク近代美術館との間で再び返還交渉が始まり、1981年になって返還されたのです。

数奇な運命をたどった「ゲルニカ」は現在、マドリッドのソフィア王妃芸術センターに展示されていました。私は帰国前日の午後を鑑賞に充てました。なんと土曜日午後2時半からは無料なのです。通常なら6ユーロー(約1000円)です。もし日本での開催なら1500円は取るのではと思われます。しかも午後9時まで開館しているのです。

縦3.5メートル、横7.8メートルの大作は、ガラスケースに納められることも なく展示されていました。監視員が付き、停止線内に入るとセンサーで警報が鳴ることになっていますが、間近からじっくり細部まで鑑賞することができました。私は他のピカソ作品を見た後、さらに館を出る際にも見納めました。


「視覚都市大阪の美術」
シンポジウム風景
(大阪歴史博物館)

ピカソ作品はバルセロナのピカソ美術館でも時間をかけて見ました。初期作品の具象画が数多く展示され、いかに多作で、その時代を映し画題を変化させ、「青の時代」や「バラ色の時代」を経て抽象画に至ったのかを、あらためてピカソの軌跡を追うことが出来たのでした。

展覧会事情も東京一極集中

スペインではプラド美術館も訪れました。朝一番だったこともあり20分待ちで入場できましたが、夕方には長蛇の列でした。日本では話題性のある特別展でもない限り行列は出来ませんが、海外のルーブルや大英、エルミタージュなどでは日常の光景なのです。日本ではまだまだアートを日常的に楽しむ社会に育っていないのかもしれません。

さて今年の展覧会を入場者数で見ると、「レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像」(東京国立博物館、朝日新聞社)が約80万人、「大回顧展 モネ」(国立真美術館、読売新聞社)も60万人を突破しました。しかし両展とも東京だけの開催で、展覧会事情も一極集中の感がします。


画廊での作家活動、
坪田政彦展
(大阪の山木美術)


画廊オープニングでの懇親会

毎回、二科展出品の
知人アーティスト、
松河哲男さんと
その作品「ミカンチャ」
(上、大阪市立美術館)

その他でも、オルセー美術館展(東京都美術館、日本経済新聞社)の約48万人、「日本美術が笑う/笑い顔」(森美術館、日本テレビ放送網)の約35万人、「異邦人たちのパリ 1900−2005」(国立真美術館、朝日新聞社)の約32万人と続きますが、いずれも東京での数字です。

100万人を超える入場者は過去の語り草で、50万人の壁すらなかなか超えられないのです。「モナ・リザ展」(1974年)は、東京国立博物館と文化庁の共催という、いわば国家的事業で150万人を超えたのが記録です。「ツタンカーメン展」(1965年、朝日新聞社)は三会場合わせ293万人でしたが、一会場としては東博での約130万人、同じく朝日の「ミロのビーナス展」(1964年、国立西洋美術館)が約83万人となっています。ピカソの「ゲルニカ」の日本公開が実現していたなら裕に50万人は超えるだろうと想像しました。

関西では恒例の「正倉院展」(奈良国立博物館、読売新聞社)が24万人を超え、「狩野永徳展」(京都国立博物館、NHK、毎日新聞社)が約23万人と健闘した程度です。「若冲展」(相国寺承天閣美術館、日本経済新聞社)は狭い会場ながら12万人を超え、注目されました。

また美術館の新しい傾向として大阪では国立国際美術館と大阪市立近代美術館建設準備室、サントリーミュージアム[天保山]の共同企画「夢の美術館 大阪コレクションズ」が開かれました。国立・公立・私立といった形態の枠を超え連携し、各館が所蔵する名品を貸し借りする特別展です。

さらに「藤本由紀夫展」が国立国際美術館と和歌山県立近代美術館、西宮市大谷記念美術館の3会場で、「河口龍夫展」が兵庫県立美術館と名古屋市美術館で同時開催されたのも新しい試みでした。

一方、地方の公立美術館を取り巻く環境は依然厳しく指定管理者制度への移行も浸透しています。NPO組織に運営を委ねた芦屋市立美術博物館にとどまらず、関西では伊丹市立美術館でも指定管理者に移行し、学芸員の減少に伴い委託品の返還問題まで起きたのでした。

伊丹市立美術館長を辞した坂上義太郎さんは小冊子『あいだ』に次のような文章を寄せています。「20年間、美術館の仕事にかかわってきたなかで、指定管理者制度という国の施策によって、地方美術館がこんにちほど翻弄されている姿を見たことはない。いま一度、美術館がもつ社会的使命と文化的公共性を担保とするための再考がなされることを期待したい」

ホテルを活用しアートフェア


大阪のホテルで開かれた
アートフェア、
ベッドの上にも作品を展示


トイレや洗面場も
展示室として活用

まちの絵手展から
(泉大津市で)

近年、画廊にしばしば足を運ぶようになりました。画廊を回っていて、アートの動向がよく見えてきました。さらに画廊には、時折り作家が顔を覗かせます。また日ごろ接点のない若手アーティストと懇談する機会もできます。

2007年7月、いくつかの画廊から「ART in DOJIMA」とのタイトルの案内状をいただいきました。大阪で第5回目の現代美術のアートフェアですが、今回はホテルの8,9階の全フロアを借り切っての初めての催しでした。大阪以外にも東京や京都、名古屋、四国、韓国も含め二六のギャラリーが参画しました。

顔を出して驚きました。展示はシングルの部屋もあれば、ツインやスペシャルルームもあります。それぞれの部屋に応じ、ベッドや浴室、トイレまで作品が並べられていました。草間彌生らの版画があれば、トレンディーな若者向け作品も。観客は3日間で約2000人を数えました。今やアートは美術館に行かなくても、街にも数知れず氾濫しています。

ますます多様化するアートおよびその周辺。私はこの10有余年、アートの世界を内から外から見てきました。このようにアートの送り手側は、新しいハードを整え、作家の作品を集め、新たな切り口による展示、さらには新手法の展示スペースで、様々に工夫を凝らせています。ここで大切なことは受け手側の対応です。アート鑑賞は相互の理解で成り立つからです。

日本では、これまでアートは送り手側の一方通行になりがちでした。ハコもの行政で立派な館が出来たが、受け手側の大衆はそれを十分に活用してきませんでした。日ごろから美術鑑賞でこころ豊かになったり、感性を磨いたりする習慣がなかったからです。

しかし、アートは見る人の心に感動を与え、見る人の心を癒し、生きる勇気を呼び起こし、時として時代を先取りし、予兆する役割を持っているのです。これからの成熟社会に向け、受け手側の積極的な意思と行動が必要です。送り手側の試みに呼応して、できるだけ鑑賞前に情報を入手し、鑑賞にはじっくり時間をかけましょう。それが美術を主体的に受け止めることになるからです。

11月末に大阪歴史博物館で開かれた美術シンポジウム会場をのぞきました。「視覚都市大阪の美術」をテーマに、第一線で活躍中の学芸員らが美術の分野にとどまらず大阪の役割や世界への発信いついて、熱っぽく語り合いました。聴講が無料にもかかわらず、空席が目立っていました。受け手の意識改革ものぞまれると痛感した次第です。

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 名画を決めるのはあなた
第一章 日本で見た世界の名画
第二章 美術から知る世界
第三章 時代を超えた作品の魅力
第四章 心に響く「人と作品」
第七章 アートの舞台裏と周辺
第八章 これからの美術館

アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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