なにわの詞(ことば)さがし

なにわことばのつどい 中井正明

 

“もひとつや”
 も一つ=大阪辯の字引きには『今一歩、もう少しというところ。』コンダケの解説しか書いていない。タッタの13文字で理解セェ(しろ)等という事は、生まれも育ちも大阪だけの者(モン)にカテ至難の業(わざ)でして、本真(ホンマ)に説明の仕様に難儀しまス。偖ト数年前に一地方自治体が有名人10名程の大阪辯随想を七曜表にしてPRした時がおましたナ。東京都へ広報出して話題になったのもご記憶だっしゃろ。中の一人が“もひとつや”を。文章説明は@本当にもうちょっとや、惜しいなあ…A全然ダメ…Bその中間もある…中略…(この辺は話芸である)…そのニュアンスは、解る人にはそれで解るのである…後略…
 此の様に決めてたがな。あの話アンジョオに諒解のお方、居てなさったかな。なにわ生まれの僕(やつがれ)には意味も字(じ)ィも判(ワッカ)らナンダワ。大阪辯の“もひとつ”はどの辺迄と解釈したらエェのか知りとうて! 僕(やつがれ)の思案では、欠点=落第点の場合しか使(ツコ)テない。何方(どなた)か上手に教(オ)セとくなはれ。こんな人の話「もひとつ」だんなあ。然(しか)り而(しこう)して?

“うきよしょぉじ” 
 艶めいた地名は日本中に、仰山おまス。大阪にも通称“浮世小路”在り。ご存知のお方も末だ末だおいなはる筈で。浮世離(ばなれ)のこの呼び名から一寸だけ。船場の中心高麗橋通と今橋通の間に一間半程の小路、市内地図にも名前の載らぬ通路がある。昭和も35年頃の家並は本(ほん)にしっとりした景色で、静かなF喫茶店などポツポツとお店がおました。今日日(きょうび)エライ、様変わりしてしもて。文献によると「船場に小路四所(ところ)有りて云々。淀屋小路・衣張小路・御前小路と此所(ここ)、他に狐小路も…」ゴザッタとか。
 17世紀後半の寛文・貞亨の頃は、小路両側に質屋・売卜(ばいぼく)・寺子屋・米屋・風呂屋・油屋・色宿まで軒をあらそひ、家建ち集(つど)ひ実に浮世のありさまを眼のあたりに見わたすの故(ゆえ)をもって浮世小路と唱へたるよし…とかや。他に「ここを手代の隠し宿又は問屋蓮葉(はすは)の身ままになりて…云々」の記述がおまス。これなどを直訳? すると「高級料亭を使わず別宅を利用して尻軽(しりがる)に接待等をさせる」即ちその分交際費の節約に通じるという事、一口(くち)に言うと船場の商人達は始末人倹約家が多かったんやてぇ。筆者が月給取りの頃、別家(べっけ)番頭に承った事この話イカイ昔話になってもたねぇ。

“しゃもじ”
 御所詞(ことば)・女房詞から派生した用語に文字(もじ)詞がおまス。物の名の頭字の下に文字(もじ)と付けて婉曲に表現する語で鮓(す)もじ、髪(か)もじ、湯(ゆ)もじ他杓(しゃ)文字を知らん方はまぁ無いネ。所で文字詞を探したンやが当方40語程度見付けただけで、それでも美しい詞が多く「よきに御推(ごすい)文字願ひ上候」が辞典に在るョ。か文字は母、妻の意。髪(か)文字は髪や添髪を指す。京から流入の奇麗な国語を是非ともよろしゅうに。楽しい言葉をセェダイ掴まえとくなはれや。ラブレターに書くお目もじが現れたりしたら、手弱女(たおやめ)を想像したりシテ…この狒狒爺メ助平メ。扨々オモロイ事に泥棒まで出て来ヨルゾ。検非違使(けびいし)不在の御所や公家邸(やしき)に泥チャンも入ったそうな。ついでに書いトコ! ぬ文字と申すはこれ如何に……NUSUTのイニシャルだすわ。

 

「Osakaあらかると」VOL.36 より


 

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