なにわの詞(ことば)さがし

なにわことばのつどい 中井正明

 

“しきしあてる”
 色紙当てる……貧者の社会にこんな情緒豊かな大阪弁がゴザッタヨ。衣類の継切(つぎきれ)を、色紙と見立て継ぎ当てする事を指した。戦中戦後[昭和20年前後]物資欠乏の時代を思いだすネ。僕のお下(さが)りの半ズボンを弟が穿(は)いたンもその頃。お尻に当てた布が別物(ベツモン)ダシテ「キャッチミット」の渾名(あだな)が付いた。彼が登校拒否症に陥ったンが筆者の知るその第1号ダシタナ。当時は衣服は勿論のコト、短靴編上靴軍靴に至る迄、継ぎの当たった品品が使用されていたョ。者が豊かでホンデ心は貧しい時代の今から振り返ると、
隔世の感が深うオマス。

“ゆきひら” 
 文化が進む? と電車やバスの吊革(つりかわ)も塩ビに代わり、台所(ダイドコ)用品も変わってモテ、行平鍋[蓋(ふた)把手(とって)注口(つぎぐち)付きの土鍋]などが我が家には無い。風邪で寝込むと母がこれでお粥(カイ)サンを作ってくれた記憶がオマス。部分が欠けて不用となった行平を大事に仕舞うておいて「ソレ流行眼(はやりめ)!!」という時には之で温(ぬく)い硼酸水を用意し洗眼して貰うたンが昨日の様でゴザイヤス。公衆衛生の徹底したお陰で当節、流行性結膜炎も減りましたなぁ―。

“うしのした”
 焼き肉屋が出す牛の舌(タン)やなしに舌鮃(したびらめ)の大阪弁だス。形が牛の舌に似て一寸不細工な物(モン)ヤケド、昔は煮付け、今はムニエルが主流の美味な白身の海魚。扨(さて)、くいだおれの浪花の町中も共通語が幅をきかせてモテ、食堂の看板や品書きが、素饂飩(すうどん)をかけうどんと書く時代だァ。まぁ土地の御馳走(ゴッツオ)はその地域の言葉で言うて貰(モロ)た方(ホオ)が、ありがたいと思いまッケド、サァドナイダス?

“にっき”
 シナモン・肉桂(にっけい)をなにわで「ニッキ」と言いまス。インドシナ原産。日本には亨保の頃18世紀前半、大陸からの輸入。又戦中のお話で悪いケドモ、菓子の少ない時代に細い電線の如き枝が赤いテープで束にされ駄菓子屋にあったのをご存知だすか。5銭位かな? 時代にも依りまッケド。これをシガシガと噛みしめて仄かな香りと甘味を楽しんだ少年時代が懐かしい。本物は桂皮を乾燥した香辛料・健胃薬・矯味矯臭薬だス。終戦後はインフレの最中に道修町の漢方薬問屋へ繰り出し、卸値で分けて貰うた経験も当方シトリマッセ!!

 

「Osakaあらかると」VOL.34 より


 

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