なにわの詞(ことば)さがし

なにわことばのつどい 中井正明

 

“でんしんぼう”
 電信柱の大阪弁、昭和も戦前から終戦後は補習塾も無く算盤(そろばん)や書き方学校に通うた記憶がおまス。放課後の学童は日暮れ母親に呼ばれる迄探偵ごっこや電車ごっこで遊び倒したもんだス。「でんしんぼ」が基地(ベース)で次々移って行く鬼ごっこはタッチされたら鬼交代の簡單な遊戯だしたけど楽しおましたナ。友達に2人背ェの高いのが居とりましてン。綽名(あだな)が、デンシンボとエントツだしたワ。(電信棒・煙突)

“やどがい” 
 小学3年の春に義継チャンが静岡から3軒目に転居「乞食(コンジッキ)来たぜ。」を聴いた時こんな日本語アンノンカイナと思うたのが印象強う残ってまス。大阪の街も今、□○引越しセンターの貨物(トラック)が走り廻り、大阪弁の宿替は随分と分(ぶ)が悪いネ。借家住いが圧倒的の昔は収入の増える度(タンビ)に結構な方へ家移りする話が多(おお)かったョ。月給取りの頃に一回だけ夜逃げの体験を聞いたが是が引いて越す……マイナスの心象(イメージ)で残り、今もこの言葉は嫌いだすなぁ。

“すこぶ”
 大阪の町で生まれた詞。60年も昔に日本中が耐乏生活を強いられた時代の事、ご存知だっか。勝ってくるぞと勇ましく……の当時、お腹が空いて泣きたい位の時に戴く酢昆布……涙が出る程嬉しゅうございましたなぁ。大阪名物の中でも上等の店屋物(テンヤモン)。映画やお芝居に皆(ミンナ)持って行きなはったネ。歌舞伎座や松竹座の中が酸ッポウなってもて……特に女御(おなご)はんの好物やし、ソンデ別嬪さんの褒め詞を、すこぶる付きの美人と申す。(コラ山伏の法螺の貝)

“どんどこぶね”
 江戸の三社祭、京の祇園祭と来ると、難波国は天神様(さん)で日本三大祭となりまス。天満の船祭とも呼ばれる天神祭に神輿の船渡御(モオワタリ)が出る7月25日は大阪中が引っ繰り返る程の熱気と賑わいを見せてくれまス。大船団周航のとき例外船として鉦や太鼓でお祭り景気をかき立てるのがこのどんどこぶねでやす。晒しを締めた粋(すい)な若い衆(シュ)が勇ましい。このお船に乗せんか言うたら怒られましたがな。苦い経験だした。

“うまき、うざく”
 男同士、会話が弾んで参ります。
 「山本(ヤーモッ)さん、よかつたら帰りしなに一寸、うちに寄っとくなはるか。いゃ、一杯遣ろか思(おも)て、家内に段取りさしてまんねん。ご馳走(ッツォ)やおまへんけどこの間(コナイダ)から講習受けよりましてナ。作っとりまんねん。うまきとうざく、そやサカイ一寸だけで結構(ケッコ)だス。寄っとくなはれ!!」
 「さよかソラご馳走(ッツォ)はんで。ホナ電話入れといてお邪魔に上がりまっさ。おぉきに、ありがとさんだす。」
 二品共大阪独得の料理で短絡語。玉子巻の中に鰻の蒲焼を巻き込んだのが、鰻巻(ウマ)き。蒲焼きを刻んで胡瓜のざくざくに混ぜたンが、鰻ざく。“ざくざく”は材料を刻む音の名詞化で大阪ならではの料理名。

「Osakaあらかると」VOL.32 より


 

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