藤嶽彰英の談話室
その5


 勝者がいる以上、敗者がいる。戦国時代の武将が、敵に包囲されて落城間際、火炎のまっただ中で「しかるべき業縁に候わば、いかでこの無念うちはらうべきや……」と割腹するシーンは時代劇にしばしば登場する。勝者の弁は大同小異であるが、敗者の弁は、それぞれの生きざまや人生観が吐露されるから味わいがある。「敗者の美学」と言われるゆえんであろう。軽薄にして乗りやすい俄サッカーファンを培養した新世紀最初のW杯でもそうだった。
 6月13日現在、自他ともに最強と予想されたフランスの屈辱的敗退の瞬間に出た「これがサッカーだ。これが人生である」の弁は、いかにもフランスのお国柄が出ていると思った。これまた攻撃サッカーの雄といわれたアルゼンチンが「守」のスウェーデンに敗れた時のビエルサ監督の「どうしようもなく悲しく失望した」の弁はやり場のない絶望感をいいつくしている。
 「いかなる業縁と申すべきか」としか言いようがなかった日本の武将と同じ無念の極みと理解していいだろう。さて、海外からのビジターはおおむね大阪人の暖かさ、ざっくばらんな庶民性(ラテン系と言うべきか)には好感をいだいたようだが、高速道路の通行料金や牛肉や果物などの「生活必需品」が考えられないほど高価なことに驚いていた。趣味の品物、例えばテレビ、ラジオ、インテリアに活用する昔の船箪笥などは高価でもやむをえないけれども、毎日の生活に必要な物は、徹底的に求めやすくするのが政治の役目ではないかというのである。
 この世は全て思い通りゆくものではないが、自転車道路の不備や、少しの部分があっても駐車場になっていて走れないなど「いかなる業縁によるものか知らないけど不可解だ」と首をかしげる海外からのサポーターもいた。  

「Osakaあらかると」VOL.48(2002年Summer) より

 

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