「若くして旅をせずば、老いて何を語らん」
藤嶽彰英


 「癒す」とか「癒される」という言葉がよく使われる。私はこの言葉が好きでない。もっと正確にいうと、どうにもならない悲しみ・苦痛がそう簡単に「癒される」ものではないと考えるから、動く歩道みたいに乗れば運んでくれるわけじゃない。つかの間のホッとであって、やっぱりまた歩かねばならない。
 どうすれば、人は癒されるのであろうか。同情されたってしょうがないし、あっ、そうだったのかとみずから頷けば(納得すれば」癒されるのであろうか。頑迷というほかない。 「若くして旅をせずば、老いて何を語らん」という中国の名言がある。狂言にも引用されているそうだ。読者の中には、今頃そんなことをいわれても、既に「手遅れだ」と思う方もあろう。私もそう思う一人であるが、実は歳老いて若い頃の旅の体験を語れということを言っているのでは無いということが、このごろやっとわかってきた。
 此の世で一番面白くないのは旅の話と、夢の話だそうである。自分では無性に面白いのだが、聞かされるほうは自慢たらたら、ひとりよがりで、さっぱり面白くないということはままある。
 中国の名言にもどれば「老いて何を語らん」の「何を」がキーポイントなのである。具体的にいうと、どこへ行って何をどうしたということを、どれだけ克明にしゃべっても、聞かされる側にとっては、おおむねしょうもないということである。
 それでは何を語るべきであろうか。それは自分の足の裏や五感で得た「旅の智慧」こそ語るに足るものだと教えている。「百の人生観より、一回の旅」というのも、パソコンのホームページで得られる情報でなく、生きた温かい智慧の大切さを説いているのだ。
 ひるがえって、近年大阪や関西の再生・活性化・集客観光都市としての仕掛け、起爆剤は何かとようやくにぎやかに語られるようになって来たのは、10年の手遅れではあるが、歓迎すべきことである。ただ観光による都市構築は地味な「智慧」の積み重ねと、ねばり強い勉強なしに達成された試しがない。平易な話、年商数百億円の利益をあげている観光王は私にこう語った。「儲けようと思って儲かるのなら、世界中金持ちだらけになるはず。だが、現実はそうではない。ただし、人を喜ばせて金持ちになった人はいる」
 また、「ゼニの無いのは首の無いのと同じ」ときついことをおっしゃる商人が「ほんでも、この世の中、カネで得られるもんは、しれたもんでんな」と。いっぺん言うてみたい気もするが、この「おもしろまじめ」的バランスから、世界人が憧れる発想や都市の魅力が生まれる。
 勝負手は世界一流のほんもの以外に無い時代の到来だ。そう視座を決めたら、大阪がはぐくんできた風土と歴史を基盤にして、一夕一朝な真似ができない人間のおもしろまじめの特性(生活文化)を、突き詰めてゆく。金は無いよりあったほうがいいが、この世の最高の財宝は何かといわれれば、それは磨かれた智慧を持った人間である。

 

「Osakaあらかると」VOL.49(2003年Winter) より

 

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