「爽やかな「節度」」 藤嶽彰英
来るべき人には、やすらぎを
去りゆく人には、しあわせを……
と彫り込んであった。ドイツ中世集落の面影を残すローテンブルクの、シュピタール門でラテン語で書かれたその言葉を読んだ。なぜかホッとし、優しく迎えられる気持ちになった。知人が居るわけでもないのに……。
予想もつかない仕掛けが息つぐ間もなく現れるのも刺激的で面白かろうが、はじめては驚いても二度目はもっときつい企画を求めるだろう。日々そこで暮らす人の側に立てば、朝夕川辺の小径を歩いたり、花いっぱいの公園のベンチに腰をおろし、夕映えの紅葉をめでたり、魚が飛び跳ねたり、森の中を小リスが走るのをみたりする、そんなさりげない自然の「やすらぎ」が、値千金であろう。
ローテンブルクとは「赤い城」の意味で赤レンガの屋根がひろがり、周りを城壁が囲んでいる。“中世の宝石”だ。名所旧跡には行かなかった。だから知ったかぶりは慎むべきだが、しかし川縁の小鳥の巣のような喫茶店でしゃべっていたカップルや坂道をパンを抱えて行き来する人たちの表情が落ち着いて、おだやかなのである。リューペックのホルステン門には、内には「団結」外には「平和」と刻まれていた。まずはそれだけでも、得難い「やすらぎ」であろう。「有り難いと思っているわ」息子を戦争で亡くした老婆は目をしょぼつかせながら述懐した。
スイスのある町では、靴屋のかみさんが「たかがパンや石油のことで争ったり、降参するのはプライドが許さないから……」と省エネやリサイクルなど地球環境に連動する質実な生活ぶりを自慢した。日本でも風力発電の里や生ゴミを堆肥にしている集落がある。珍しい話じゃなかったが、そのレディのしゃべりかたがチャーミングだったから、退屈はしなかった。たばこをやたらと吹かした。
やすらぎとは何だろうと考え出すと、よく分からないが、風の旅人にすぎない私が、世界遺産や高層ビルが無くても、やすらいだ「さりげなさ」に良質の生活文化、しなやかな感性、心地よいエスプリを感得した。それだけでいいではないか。
「去り行く人には」というのは直訳で、「もう帰ってしまうのですか」であろう。で、「また来てね」じゃない。あなたの町でも、誇りを持てる美しい町を創出し、リッチでなくてもしあわせな人生を送ってくださいね。再びこの町を訪れるか、もう来ないかは、こちらから決めるものではない。一流の観光都市には、“極楽の風のような爽やかな節度”がある。

「Osakaあらかると」VOL.48(2002年Autumn) より